国語問題研究協議会 東日本大会所見

国語問題研究協議会 東日本2009
愛知県のウィルあいちで行われた、国語問題研究協議会の東日本で第4部会でワークショップをしてきました。
当日は名古屋が実家のメンバーの林も参加して手伝ってくれました。
内容は、敬語を使うシチュエーションを考えて創作するというものでした。
今回は学校教諭の参加者が多かったように思います。
今回の所見だけ、先にあげておきます。
全体的に創作としての出来がいいものであったので、参加者がとても楽しそうだったのが印象的です。
それと、このプログラムはもともと文化庁の「言葉」に関する事業の中の一環で依頼されて宮古島の高校で高校生対象に行われたものでした。その後、横浜国立大学付属中学で中学生対象に書き換えられ、今回初めて大人相手にプログラムを行いました。
さすがに大人ならではのシチュエーションも多かったですが、学生対象と違い社会経験があり、敬語を日常的に使う機会がある人が行う創作となると見える場所、目的がずいぶん変わります。
特に、敬語を上手に使いというのがどちらかというときちんと敬語を使わなくてはいけないという感覚がたってしまうのは学生たちと変わらないのですが、そこに焦点が当たってしまい創作が進まなくなる場面も見受けられました。
最終的な発表は全部で5チームあったのですが、独自の視点や地域性を取り入れたもの、キャラクターを強く押し出したものなどバラエティに富んでいたものが出来、よい作品群だったと思います。
発表の良し悪しが直接ワークショップの可否ではないとは思いますが、面白い作品でかつ敬語についての扱い方や場面についてのディスカッションが順調に行われた成果ではあります。
このプログラムの進行では、必ず付いてきてくださって敬語の使い方、用法についての所見を文化庁の国語調査官の鈴木仁也さんが行ってくれています。その所見の中で、敬語を使う体とそうではない体という身体性の違いについて仰られていました。
演劇というとどうしても表現という形に取られがちなのですが、ことばを語るということは必ず身体性を伴ったものであり、その使い方をわかりやすい形で自覚する機会として演劇ワークショップのような手法はとても有効で、今回の敬語を使う体、使わない体という違いは些細な変化でしかないのですが、これを実演して、観て、振り返るという3段階を踏んで確認できるという意味でも有効な手段足りえるのだと思いました。
ただ、惜しむらく時間が足りなかったのと、学校教育転用やそれについてどうしていくかというステップまでの方法論を語るところまでは進められなかったのが残念です。
教育制度として演劇教育という大上段に構えた形ではなく、学校内でのレクリエーションも兼ねた教育手段の一方法として落とし込んでいく、もしくはPTAまでを巻き込んだ形で、学校教育の周辺分野との融和を図る方法論など、まだ議論の余地は大きく残されているところですので、こういった場でワークショップだけに留まらず、実際の現場に落とし込んでいくということについてのラウンドテーブルを行えれば、さらに可能性が出てくるように思います。
その一方で演劇ワークショップの危険な部分についての知識についての啓蒙もしていく必要があります。これについては、別稿でまた書きたいと思います。

愛知県のウィルあいちで行われた、国語問題研究協議会の東日本で第4部会でワークショップをしてきました。

当日は名古屋が実家のメンバーの林も参加して手伝ってくれました。

内容は、敬語を使うシチュエーションを考えて創作するというものでした。

今回は学校教諭の参加者が多かったように思います。

今回の所見だけ、先にあげておきます。

全体的に創作としての出来がいいものであったので、参加者がとても楽しそうだったのが印象的です。

それと、このプログラムはもともと文化庁の「言葉」に関する事業の中の一環で依頼されて宮古島の高校で高校生対象に行われたものでした。その後、横浜国立大学付属中学で中学生対象に書き換えられ、今回初めて大人相手にプログラムを行いました。

さすがに大人ならではのシチュエーションも多かったですが、学生対象と違い社会経験があり、敬語を日常的に使う機会がある人が行う創作となると見える場所、目的がずいぶん変わります。

特に、敬語を上手に使いというのがどちらかというときちんと敬語を使わなくてはいけないという感覚がたってしまうのは学生たちと変わらないのですが、そこに焦点が当たってしまい創作が進まなくなる場面も見受けられました。

最終的な発表は全部で5チームあったのですが、独自の視点や地域性を取り入れたもの、キャラクターを強く押し出したものなどバラエティに富んでいたものが出来、よい作品群だったと思います。

発表の良し悪しが直接ワークショップの可否ではないとは思いますが、面白い作品でかつ敬語についての扱い方や場面についてのディスカッションが順調に行われた成果ではあります。

このプログラムの進行では、必ず付いてきてくださって敬語の使い方、用法についての所見を文化庁の国語調査官の鈴木仁也さんが行ってくれています。その所見の中で、敬語を使う体とそうではない体という身体性の違いについて仰られていました。

演劇というとどうしても表現という形に取られがちなのですが、ことばを語るということは必ず身体性を伴ったものであり、その使い方をわかりやすい形で自覚する機会として演劇ワークショップのような手法はとても有効で、今回の敬語を使う体、使わない体という違いは些細な変化でしかないのですが、これを実演して、観て、振り返るという3段階を踏んで確認できるという意味でも有効な手段足りえるのだと思いました。

ただ、惜しむらく時間が足りなかったのと、学校教育転用やそれについてどうしていくかというステップまでの方法論を語るところまでは進められなかったのが残念です。

教育制度として演劇教育という大上段に構えた形ではなく、学校内でのレクリエーションも兼ねた教育手段の一方法として落とし込んでいく、もしくはPTAまでを巻き込んだ形で、学校教育の周辺分野との融和を図る方法論など、まだ議論の余地は大きく残されているところですので、こういった場でワークショップだけに留まらず、実際の現場に落とし込んでいくということについてのラウンドテーブルを行えれば、さらに可能性が出てくるように思います。

その一方で演劇ワークショップの危険な部分についての知識についての啓蒙もしていく必要があります。これについては、別稿でまた書きたいと思います。

国語問題研究協議会

明日からの

国語問題研究協議会

ここのワークショップ部会で敬語のワークショップを行います。

メイン講師は、

長谷基弘

コーディネートは

伊藤馨

アシスタントに

北村耕治

古澤理沙

という布陣で行って来ます。

この国語問題研究協議会は東日本と西日本でやるのだけど、今回はその両方でのワークショップ部を担当します。

敬語のワークショップといっても、敬語そのものを教えるというよりは、

グループワークで敬語を使うシチュエーションを扱うという類のものになります。

以前もこの国語問題研究協議会のコーディネート、講師をさせてもらってるのですが、教育関係の多岐な人々と行うワークショップは現場のニーズを知るという意味でも重要な意味あいがあります。

各ワークショップが終わったら、軽い報告をまたアップします。

ドラマリーディングの基礎知識

  • 1 戯曲には何が書かれているのか?

戯曲には、セリフ、ト書きなどが書いてありますが、

これは言葉としてのセリフやその補足ではなく、登場人物の行為、行動が描かれています。
行為、行動というのは、AさんがBさんに何かを言う、AさんがBさんに何かをするなどということを指します。
非常に要約して言うと「戯曲には、登場人物の行為、行動が描かれている。」と言えます。
また、「演劇は一切を登場人物の行為、行動で表現する芸術である。」とも言えます。

  • 2 行為、行動について(Action)

英語で俳優のことをActorと言います。これは、行為、行動(Action)する人という意味から来ています。
このアクションは、常に連鎖していきます。
例として、AさんがおはようとBさんに言う、Bさんがおはようと言う…
というようにAさんが起こしたアクション(この場合、おはようと声をかける)がBさんのアクション(おはようと返事をする)に繋がって行きます。これに対して、Aさん、もしくは他の登場人物のアクションが繋がっていき、戯曲の最後まで行きます。
このアクションは後ろから前に辿っていくことができます。
Bさんのおはようというアクションから、なぜそのアクションをしたのかという原因は、Aさんのおはようにあたるわけです。
ちなみに、時間軸順で前から後ろに進むことは出来ますが、前から後ろに辿ることはできません。
Aさんがアクションを起こした時点での、Bさんの行動はまだ予測が出来ないからです。

  • 3 登場人物(キャラクター)について

登場人物は主に4つの要素で構成されています。
1 目的
2 障害(目的に対しての)
3 葛藤(障害に対しての)
4 ゴール
戯曲全体を通してという意味もありますが、シーンに出てくる登場人物には各々に目的が設定されていて、それに対しての障害があります。そのための葛藤を乗り越えて、ゴールに向かいます。
例をあげると、Aさんは林檎が食べたい(目的)、ただしお金がない(障害)、どうすればいいのか?(葛藤)、Bさんにお金を借りて林檎を買った。(ゴール)というようなことがあります。

  • 4 演劇のルール

始まって、終わる。
必ず始まったら終わります。
当たりまえですが、重要です。
また、一回進んだら戻れません。始まりから終わりに向かって常に進み続けます。
なので、演劇は一定の時間と空間の中にしか、存在しえない芸術であると言えます。

  • 5 ドラマの構造

ドラマの簡単な構造として、大きく分けて3つのパートに分かれます。
前提部、本編、エンディング
前提部     登場人物が置かれている世界や、登場人物の状態について観客と共有するためのパート
その作品が始まる直前の過去との接点でもある。
本編      戯曲の本編
エンディング  ここでは、作品のその後の世界が描かれることが多い。終わりにあたる部分。

  • 6 クライシスとリラックス

ドラマを進めていく上で、戯曲にはクライシスという緊張感の高まる場面とリラックスするシーンがあります。これが何回か繰り返されてエンディングへと向かっていきます。
緊張感がある場面が続いてしまうと、観客が飽きてきたり、作品に対しての興味が薄れてしまうので、緊張感を高めたり、緩めたりということを繰り返していきます。
例としては、敵に囲まれて、逃げている。壁際に追いつめられる(クライシス)、壁を飛び越えて逃げる、敵は追ってこれない。(リラックス)というような感じです。
これを繰り返して、波のような感じでエンディングを迎えるというようなことがおきます。

  • 7 リーディングについて

リーディングは戯曲を演者が戯曲をことばとして立ち上げて、観客に伝える芸術です。
立ち上げるというと難しい感じしますが、単純に声に出して伝えるということではなく、非言語による表現も使うという意味と、セリフをただ読むのではなく、演者の身体を通して表現するという意味で立ち上げるとここでは表現します。
このとき、すべてを音声だけで表現して伝えていった場合はラジオドラマと同じで演者が見えている必要がありませんが、演者が見えている状態を作ることにより、表現をするというところで音声表現のみではなく、演者がと観客の関係性を必要とします。
また、リーディングで作品を上演する場合、戯曲を演者がことばとして立ち上げるわけですが、そこで表現されているものを最終形として発表するわけではなく、その戯曲の最終形(実際に上演されたときの状態)を観客に想像してもらうというのが目的になります。
厳密にこれがリーディングだという決まった形ややり方が存在しているわけではありませんが、観客の目の前で起きていることだけで表現が終っているものは、リーディングというよりも戯曲を使ったパフォーマンスとしての意味合いが強いと言えましょう。
想像させる余地を持つということ以外については、上演の方法論やコンセプトにより違うので、厳密にこうでなくてはいけないということはありません。

  • 8 キャスティングについて

キャスティングもこれが王道とというやり方はありません。なので、伊藤馨がキャスティングをするときに気をつけていることについてを書きます。
観客に想像をさせるといっても、実際に読む演者が居て、そこを基準にして想像を膨らましていくことになるのでキャスティングはある程度重要だと思っていいと思います。
一番簡単な方法としては、性別と年齢を合わせるということがあります。
実際にそれも困難なので、実際はバラバラだったり、全員女性になったりします。
その場合は、声と見た目で合わせていくというのがあります。

同じ場面に登場する演者の声が同じ人がいると、単純に観客が間違えてしまうということがおきます。
また、見た目も同様であまりにも似ている人が別の役やっているとこれも勘違いさせやすいので、気をつけておいていいと思います。
あとは、単純にコンセプトを決めるというのがあります。
子供の登場人物をあえて高齢の方にやってもらうとか、女子高生におじさんを一人混ぜるとか、ちょっとした違和感があるものを入れること。これが余りにも異物だと観客の想像力を阻害しすぎるので注意が必要です。
最大に重要なのは、面白そうだと思えるものを入れていくということ。
さじ加減も大事ですが、しかかりであるということと、演者が楽しそうにしていることというのは重要な要素なので、その辺りに気を配ることが大事なことだと言えましょう。

  • 9 練習時間の目安について

ドラマリーディングをする際に気をつけなくてはいけない点として、練習時間があります。
普通の俳優であれば、一回通して読んで、シーンごとに細かくシーンの練習をして、最後に通して読む。
練習の時間は上演時間の概ね4~5倍の時間で作ります。この中にウォーミングアップの時間は含みません。
なぜ、上演までの練習時間の上限を作るのかという理由は3つ。
一つは、俳優に戯曲の動きや言葉が入りすぎてしまうことでドラマリーディングという枠から出てしまい俳優が動きたくなってしまうということが起きてしまうからです。
そうすることで上演時の状態を想像させるというドラマリーディングの表現形態からの逸脱が起き、また観客が見るべき頭の中で再構成した上演時の舞台よりも実際に読んでいる姿が前に出てくることで観客に混乱を招く可能性がある。
もう一つは、俳優ごとの読み込み、再現性というのは個人差があります。これらの差が少ないうちに発表まで行った方がよいということです。俳優間で差が大きくなると、これも観客にとって見づらい状態になることがおきます。
最後に、俳優の伸びしろというものがあります。これは、読み始めてから一回なんらかの障害にぶつかります。それを一つ目を超えるところが大体上に示した時間に起きます。それ以降の障害を乗り越えるためには、成長高原という成長が見えない状態がしばらく続いた後にしか訪れません。なので、一回目の障害を乗り越えたところがもっとも発表に適しているといえるからです。

最後にサンプルのタイムテーブルを書いておきます。

30分の作品の場合
0:00 開始
ウォーミングアップ 20分
0:20 通し読み 30分
1人、1セリフ、1ト書きで順番に輪になって読む。
0:50 休憩 10分
1:00 配役 10分
1:10 頭から止めながら練習 10分
2:10 休憩 10分
2;20 通し稽古 30分
2:50 フィードバック 10分
3:00 終了 もしくは発表

これが成立するためには、まず上演のコンセプト、作品の読み込みを演出家がしておく必要があります。
それ以外の場合は配役についての時間を長くして参加者全体でのコンセプトを作るという時間にして20分程度の時間をとるといいと思います。その際は休憩はなしにします。
とはいえ、要は、楽しければなんでもいい。これにつきます。
それではがんばってください。