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愛媛県の小学校のワークショップ一校終えて。

MDの伊藤馨です。

プログラムディレクターの長谷くんのFacebookの投稿を転載。

「先日全三回目の三回目を終えた愛媛県の某小学校では、いろいろ思うところ・得るものが多かった。
約三年前初めてこの小学校に行ったときと比較すると、学校の雰囲気、学校を取り巻く雰囲気が、とっても良い方向に変わった。子供達の感じも、なにをしても無反応でどこか重たかった最初の頃と全然違う。軽くて明るくて元気で、ごく自然に助け合っている感じ。シャイはシャイだけど、ちゃんと子供らしくて良い。
ぼくらのワークショップのせい? いやいや、んなわけない。たった3回のワークショップで子供たちが変わったりしたら、怖いじゃないか、ヤバイじゃないか。そんなヤバイことはしないよー。そこはホレ、特に気をつけていることの一つだ。
これはもうひたすら、校長・教頭・先生方の、子供達のためならなんでもしてやるぞという貪欲さと、毎日の不断の努力の成果なのである。もしぼくらのワークショップが役に立ったとしたら、先生方の指導指針に別の視点を提供したり、子ども達はいまどういう状態なのかなーという物差しとして機能したり、とか、そういう効率を向上させるタイプの効果なのだろうと思う。逆に言えば、それ以上のことはぼくらにはできないし、やっちゃいけないんだよなー、とも思う。子供を育て、良き方向に導くのは、普段日常的に接している大人。いい悪いじゃなくて、「よく考えれば当たり前」のことなのだが。」

と、こんなことを考えてワークショップしてたりします。

新年発は南から。奄美大島初日の夜に考えた。

2014-01-12-121407

2014-01-12-121407MDの伊藤馨です。
PDの長谷と一緒に、今日から奄美大島に来ています。

 

3連休を一日ずらして、今日なら空いてるかも。っていうことで、わざわざ二日前にずらして移動をしたのに。
残念ながら、激混みの飛行機に乗って移動。
明日は成人式なんだよなー。
っていうのを飛行機のアナウンスで実感する。
しかも、今日は日曜なのね。なんということも。
年末年始も人並みには過ごしたはずなんだけど、考えることが多いし。
何より、年明けからバタバタと動かなくてはいけないので、その準備で終わった感じがします。

 

さて、本年の頭は奄美大島の宇検村から始まり、そのまま茨城県に移動。
詳しくは、長谷のblogに書いてあるので。
mloge
http://www.momouta.org/b/mloge/2014/01/12/diary_20140112uken/

 

年末年始にぼやぼや考えていたことがあります。
感覚的なこともあるのですが、こどもたちの言語力がこの一年で極端に落ちたように感じています。
具体的に説明するのが難しいのですが、一つの言葉に対しての語彙力が落ちているというのが正しいでしょうか。
たとえば、僕らがワークショップの中で使っている「わき水」をお題にした詩の創作があるのですが、「水」という言葉を聞いたときにこどもたちから出てくる身体的なイメージが希薄になってきているように感じます。
「水」は言葉としての「水」以外ではなく、そこから音としてや、意味合い的なものによる発展性がないものになってきいるということです。
これは、当然ですが会話の中での言葉使いにも影響してきています。
一つの事物に対しての見解に多面性がないため、会話が押し問答になってしまいます。
一人の中に構築されている言語世界に対して、他者の意見を取り入れることで、再構築されていく、そうして語彙力が増えていくというプロセスを踏んでいるはずなのですが、この再構築がうまくいかないので、よくよく創作されたものを観察してみると、構築されている言語世界が非常に平面的なものになっていました。
これは、誰か個人のことにフォーカスをあてているのではなく、各地のワークショップの様子を見て感じたことです。単年度ごとの違うこどもたちも、経年度を追いかけているこどもたちも同様です。

 

読書が足りないのじゃないか。
これも一つ考えたのですが、単純な読書量だけで言えば、統計で見ても増えているように思います。読んでいるものの質を加味しなければ。

 

そして、そのことが何を生み出しているのかをこの年末年始に考えていました。
結論づけるほどのことは何も思い浮かばなかったのですが、実家でぼんやりテレビを見ていて、これは一つあるな。と、思ったことがあります。
延々とバラエティ番組が垂れ流されるお正月番組。
そこには口語のみによる選び取られてない言葉たちの偶然性の強い産物で満たされていました。
再現性のある言葉ではなくて、再現性のない偶然性で作られたもの。
演劇は、むしろその対極にあって、再現性がなくてはいけないもの。
こどもたちに演劇の真似事をさせる。
ワークショップで扱っているのは演劇ではあるけど、こどもたちが演劇を真似事以上に取り組んではいけないと考えているため、こういう書き方になってしまいます。どうして、そう考えているかを説明するだけで、ものすごい時間がかかるので、世阿弥先生の風姿花伝を読んでいただければと思います。ちょっとだけ引用。
「第一  年来稽古条々 七 歳 一、この芸において、大方七歳をもて初めとす。このころの能の稽古、かならずその者しぜんといたすことに得たる風体あるべし。」

 

自分がこどもの自分はバラエティ番組の方が少なくて、大方はドラマが大勢を占めていました。その中で、「誰かが選び取った言葉」による「再現された会話」を見ることが多く、それを日常の口語のやり取りに加えて記憶していったのだと思います。
当然、本も読んでいました。
少し、話が戻りますが、読書量は減ってないけれど、質が下がってるのではないか。
この点については、自分たちが行っている範囲の中での特徴として、「伝記」が読まれていないということには、もう何年も前から気になっていることでした。
「伝記」には人生が描かれているので「圧倒的な挫折」があります。
そういったものに触れないことも大きなことなのかもしれない。などと考えてみたりもします。

 

一つ気が付いたのは、こどもたちがこの一年という短期的な期間で「演劇」の「真似事」をするための「お手本」がない。ということなのかもしれない。ということです。
私が感じるのは、こどもたちが日常の中で、触れることで成長してきた何かが欠けてきているという不安と危惧です。
ワークショップというある種の日常を集大成した時間を扱うものとして、少しの変化を大きくとらえているのかもしれません。

 

他者との融和の前に、自己との融和が出来てないことが大きな問題です。
人は鏡でしか、自分の姿を判別できないものです。
その鏡にあたる部分が徐々になくなっているということなのかもしれません。
1年間の数日しか関わらない僕たちにとって、出来ることはとても少ないと思います。
一方で、ほんの数日だから出来ることも多いはずです。

 

新年早々、おかたい感じですが、自分たちの社会的な役割の大きさを踏まえつつ。
まだまだ、社会の端っこの方に引っかかってるだけの僕たちをよろしくお願いいたします。

 

 

 

ここ最近の動向と今年度後期の野望について。

先週は、台風直前の奄美大島の宇検村で打ち合わせとワークショップをしてきました。
話をしていて、痛感したことがあって。
それは、奄美大島の宇検村は、日本で三番目に大きな島で。
その中の宇検村はとても小さな行政区域なのだけども。
抱えている問題は、愛媛県や東京の杉並区と変わらないことが多い。
ただ、環境の差があるため、その出方の差がある。
今年度のterraceのワークショップは「ことば」について考えていくことになりそうです。
身体的な発語や、その発語のプロセス、そういうことと、クリエイティブディスカッションを組み合わせて、インプット、アウトプットを意識下に置いて行うことを考えてみたいと思います。
中の人である、MDの伊藤は、こんな感じで今年度後半のワークhショップを考えていきます。
きっと、PDの長谷さんは、これに答えて、面白いワークショップを作ってくれると思います。

それと、関係ないですが、今年度のMD的な野望としては、ワークショップ開催地で「適当に公演をする」です。
なぜ、適当になのかというと、当然ワークショップが主体なので、あまり他のことに時間はかけられません。
ですが、演劇に関わる身としては、ワークショップではなく、演劇を観てもらいたい。そんなに稽古もできないし、きっと打ち合わせしていきなりどーん。みたいなことになるかもしれない。
でも、少しでも創作したものを発表して、観てもらうことを恐れずにしていかないと、いけないと思うのです。
劇場だけで公演を行うのではなく、それ以外の場所でも公演は行った方がいいし。地方に僕らの準備できる時間に見合うサイズの劇場があるわけではないので、知り合いになったカフェとか、学校とかの狭いところでやることになると思うのです。
ただ、作って、みせる。演劇は参加してみるものだということを少しでも伝えていきたいです。

ワークショップの内部発表の時の見学の人と、創作した児童生徒の温度差は参加している度合の差だと思うのです。
その場に参加して、発表を観るのと、ただ発表を受け手として観るのでは観点も変わります。
それは、ある種とても残念なことに思うのです。
ちょっとでも、触れる機会を増やしていくこともこの事業の中で出来ればいいなぁ。と。
ただ、僕だけではできないので、野望なのです。
協力してくれたらうれしいなぁ。やる側でも観る側でも。

学校とコミュニケーションワークショップ

一年間で多くの学校とワークショップを積み重ねていく中で感じたこととして、
この「コミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験事業」は、
芸術家と”学校”がいかに協働するのかということが大事だと強く感じています。
先生たちの教育のスペシャリストという観点であったり、外部の人間から子どもを守る立場であったり、子どもたちと日常をともにする大人が、子どもたちとのワークショップという「非日常」で経験したことを「日常」へと落とし込んでいくために不可欠な要素です。
また、そういった現場の先生たちの立場や状況を踏まえて、先生たちを守り、理論的、制度的なところを詰めていくために校長先生たちの理解や協力も必要です。
学校がワークショップを円滑に行うための手助けをする人たちの存在も不可欠です。特に実施がきちんと行われているのかということや、実施した学校だけのことにしないことや、書類関係の学校の負荷を軽減することなど、学校周辺のことには教育委員会の協力も必要です。
芸術家もこういった学校を取り巻く既存の運営環境をを理解していく必要があるとも感じています。
「コミュニケーション by wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
コミュニケーションで一番大事なのは、いかにして受け入れるのかという受容の能力の向上です。
これは、かなりの暴論であると思いますが、結局見る、聞くという受け入れるということから始まらないと、話すための素地は生まれないものです。
芸術表現という言葉を使われているせいもあり、アウトプットの「表現」という言葉から、何かを発することに重きをおいて理解をしてしまいがちです。
人前で何かを表現したり、人に言葉を投げつけるのはコミュニケーションではありませんし、コミュニケーション能力の向上には役に立ちません。
それだけでなく、発達段階上の置き位置を間違えるとただの暴力や洗脳になりかねません。場合によっては子どもたちにトラウマを植え付けることにすらなります。
本当に重要なのは、まずは人と人の間にあるものを理解していくことです。
人と人の間にあるものを感じるためには、人から発信されたものをしっかり受け取り、理解していくという過程がどうしても外せないものになります。
「この人はどうして、こういうことを言ったのだろう?」
「これにはどんな意味があるのだろう?」
こういったことをいろいろな人たちとの間で、繰り返し、行っていく中で
一年間で多くの学校とワークショップを積み重ねていく中で感じたこととして、
この「コミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験事業」は、
芸術家と”学校”がいかに協働するのかということが大事だと強く感じています。
先生たちの教育のスペシャリストという観点であったり、外部の人間から子どもを守る立場であったり、子どもたちと日常をともにする大人が、子どもたちとのワークショップという「非日常」で経験したことを「日常」へと落とし込んでいくために不可欠な要素です。
また、そういった現場の先生たちの立場や状況を踏まえて、先生たちを守り、理論的、制度的なところを詰めていくために校長先生たちの理解や協力も必要です。
学校がワークショップを円滑に行うための手助けをする人たちの存在も不可欠です。特に実施がきちんと行われているのかということや、実施した学校だけのことにしないことや、書類関係の学校の負荷を軽減することなど、学校周辺のことには教育委員会の協力も必要です。
芸術家もこういった学校を取り巻く既存の運営環境をを理解していく必要があるとも感じています。
コミュニケーションで一番大事なのは、いかにして受け入れるのかという受容の能力の向上です。
芸術表現という言葉を使われているせいもあり、アウトプットの「表現」という言葉から、何かを発することに重きをおいて理解をしてしまいがちです。
人前で何かを表現したり、人に言葉を投げつけるのはコミュニケーションではありませんし、コミュニケーション能力の向上には役に立ちません。
それだけでなく、発達段階上の置き位置を間違えるとただの暴力や洗脳になりかねません。場合によっては子どもたちにトラウマを植え付けることにすらなります。
本当に重要なのは、まずは人と人の間にあるものを理解していくことです。
人と人の間にあるものを感じるためには、人から発信されたものをしっかり受け取り、理解していくという過程がどうしても外せないものになります。
「この人はどうして、こういうことを言ったのだろう?」
「これにはどんな意味があるのだろう?」
こういったことをいろいろな人たちとの間で、繰り返し、行っていく中で養われるのがコミュニケーションに関わる能力です。
一方で、今年よく聞かれた質問に、
「表現がうまくなるにはどうすればいいですか」
「発表を上手にするにはどうすればいいですか」
というものがあります。
これらは発信のする場面のことで、受信側を重視しているコミュニケーションワークショップとはちょっと目的が違いますし、あまりそれらがいいことであるとは思えません。
大きな声で人前で発表できました。
は、ただの慣れであったり、声が大きく出せるというスキルの部分です。
人によって、それは苦痛であったり、トラウマになりかねないものになります。
また、環境が変わればこういったスキルの応用が難しいものです。
対して、何かを表現する環境を構築する場面への素地を作るためのものであり、発表のためのものではありません。
コミュニケーション能力というのは、生きていくための力であり、ただのスキルではないと考えています。
経験や体験を実感して、さまざまなことを取り込んでいくための能力で、ライフスパンで考えて有用なものになります。
次年度の募集も開始されました。
今年度に引き続き、各地域で美味しいもの。じゃなかった、子どもたちが何かを乗り越える場面や、楽しそうな顔に出会えることを楽しみにしています。

20100517 西条市立田野小学校

昨日は田野小学校で全学年向けの導入ワークショップを行ってきました。

写真はフローズンピクチャで冷蔵庫を作っていた講師陣。残念ながポーズを崩したところで写真になってしまったので残念。

しかし、唯のおにぎりみたいなのはなんなのだろう。たまたまだけど、おにぎり山みたいだ。

左から相馬杜宇(劇団劇作家)、澤唯(terrace)、長谷基弘(terrace)、わたなべなおこ(あなざーわーくす)、伊藤馨(terrace)。

写真は後半使った川柳写真。

簡単なゲームを積み重ねて、そのあとに川柳を使った創作を生徒たちとしてきました。

一年生もいるので、川柳とか大丈夫かな。と思ったけど、ちゃんと5,6年生が下級生の面倒を一生懸命みてくれて、おかげで大盛り上がりのワークショップでした。

ありがとね。田野小のみんな。