夏休みあけ一回目の授業

昨日は、夏休みあけ一回目の授業であった。

このところ、夏休みの宿題と、その宿題を使った授業は僕が担当している。

舞台科という、ちょっと特殊な科の授業を三年間受け持っているのだが、そこでの授業の前後は必ず焚き火という円陣での話し合いをする。
ここで、僕たちは(講師は僕だけでなく数名が行く)世の中で起きていることなどを話したり、演劇のことを話したりする。
演劇というものが人間のことを扱い、人間同士の関わり合いに密接にかかわることであるということから、多少なりとも生徒たちには退屈かもしれないが、僕らの目で見た世の中のことを伝えようとしている。

今回は、なんとなく「戦争」がテーマの話になった。
この焚き火での話は、テーマを決めたり、決めなかったり。
今回は僕の回なので、決めないで夏休みにあったことなどを聞いたりした。

WeCanHaveWorldPeace(1)

今年の夏は、やたらと映画を見ているので、終戦のエンペラーの話をした。
戦後の焼け野原が、なぜか瓦礫だらけなのが、とてもシュールな映画だが、日本の名優たちがこれでもかってくらい力を入れて芝居をしている良作。
アメリカのイメージでは、戦争に瓦礫がつきものらしいが、戦後すぐの写真を見ると瓦礫というものは、意外と少ない。紙と木の文化なのであっという間に燃えてなくなってしまう。

内容は別として、写真は見てみるといいかも。
http://www.kmine.sakura.ne.jp/kusyu/kuusyu.html

そんなことをなんで話したのかというと、この後、彼らは数年経ったら、こういうことを考えて行動する権利を得る。そんなときのための準備も、この授業の中でできてくれるといいと思ったからだ。
夏は、日本にとって戦争を考える季節でもある。
終戦記念日があるからということもあるだろうけど、やはり原爆のことが大きいのかもしれない。

戦争というものを、人の視点、集団の視点、国家の視点というように、見る地点を変えていくと違ったものが見えてくる。

生徒たちにはチェーホフの「桜の園」を題材にテーマを、そこから拾い上げて抽象化して、シーン創作を行わせている。
戯曲を読解して、理解することではなく、戯曲と向き合い、そこで見えたものをグループの中で話し合うことで、人の理解したものを理解しようとすること。自ら理解したことを人に伝えることを体感してもらいたいと思っている。

彼らは今やっている創作を最後にダンスと演劇に分かれての活動となっていく、その前に創作にかかわる共通するものがあり、それを各講師の向き合い方で伝えている。

そのために、人の行いというものを、それが積みあがった歴史というものを、人の多面性を、多様性を、ほんの少しでも見る術を自らの持てる限りは渡していきたい。

図らずも今の日本の状況はロシア革命前夜であるきな臭い状況と似ている。
日本では革命は起きようもないが、同時代の日本の状況の再現はされつつある。
その意味でも、彼らがチェーホフに触れ、今の時代を生きる糧にしていくことに少しでも意味を見出してくれればと願う。

 

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