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茨城県久慈郡大子町でのワークショップを学校サイトで紹介してもらっています。など。

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MD伊藤馨です。

今も僕は愛媛にいるのですが、Webは便利ですね。
別チームの茨城県の様子を学校のサイトでアップしてくれています。

袋田小学校だより 聴いて考え,発信するコミュニケーション

http://www.daigo.ed.jp/joke3ftw1-687/#_687

写真がいっぱいでどんな感じで進んでいるのかがよくわかるようになっています。

手前味噌ですが、これだけ褒められるとなんともはやドキドキしてしまいます。
嬉しいですね。

僕ら、愛媛県西条市のチームも、こどもたちと同じプログラムをやっています。
プログラムは一緒でも、地域性の違いにより、出来上がるものもずいぶん違います。
僕たちはふらっときた異邦人なので、こどもたちががらりと変わる。そんな奇跡が起きるわけがないのです。
それは、本当に普段から色々な事を学んでいて、一年の中で、たったの三回のワークショップですが、そこまでの間に一年生の時から先生たちや保護者の方々が植えてきた種が芽吹く瞬間に出会うこともあり、そういうときは非常に嬉しいです。
でも、そこは先生たちに誇ってもらいたいな。と思います。
ここまで、育てたんだぞ。って。
僕ら、ご相伴にあずかっているだけですから。
コミュニケーション能力を育成するためには、「何が出来て、何が出来ないかを知る」これがスタートラインです。
そこから、得意なことと苦手なことを少しずつ出来ることに変えていく。それを知るチャンスになればいいな。と思っています。
愛媛チームも茨城チームも明日もワークショップです。
引き続き、がんばっていきたいと思います。

愛媛県西条市でのワークショップを学校サイトで紹介してもらっています。

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MD伊藤馨です。

連投なんですが、愛媛県の西条市でもワークショップの様子を紹介してもらっています。

今回は、丹原小学校と大町小学校。

丹原小学校では、学校だよりで紹介してもらっています。
http://tanbara-e.esnet.ed.jp/modules/tinyd1/index.php?id=36

日記にも写真が少しだけアップしてあります。
http://tanbara-e.esnet.ed.jp/modules/wordpress0/index.php?p=219

大町小学校では、学校日記に書かれています。
http://ohmachi-e.esnet.ed.jp/modules/wordpress0/index.php?p=288

こうやって、いろいろと紹介してもらっていますが、その裏では、昨年末までに終わった学校への、事後の様子を伺いに行っていたりもします。
伺った学校の校長先生が、「こうやって児童のことを親身になって考えて、担任と話をしてくれる人というのが居るということが心強い。」と、おっしゃって下さり、なんだかこそばゆい気持ちになりました。
また、学級の担任の先生も、「この事業をやったからと言って、何かが劇的に変わるということはないけれど、少しずつ何かの芽が生えてきたような気がする。」「学校以外の第三者の目で見た子供たちの様子を保護者に伝えることが出来た。当事者ではない人たちが、こどもたちをどう見たのかということは、保護者にも担任にも有効なものになる。」というようなことを教えてもらい。更に、プログラムに磨きをかけ、運用に妥協がないようにしていかないといけないのだな。と、身が引き締まりました。

そうした事後に子供の様子を聞くことはとても勉強になるだけでなく、非常に豊かな時間でもあると感じます。
こういう時間を持って、ゆっくり子供のことを考えるのは、日常の中では難しいというような話もいろいろな学校で伺います。
そんな先生たちを少しでも楽しい気分やゆったりした気分になってもらいたいと思うので、もっともっと見てもらいたいし、楽しんでもらえたらと思います。

明日からは、また西条市で一週間がっつりワークショップ三昧です。
がんばるぞー。

茨城県の大子町でのワークショップを紹介してもらっています。

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MDの伊藤馨です。

1月の最初は茨城県の大子町に行っていましたが、今は愛媛県に滞在して、いろんな学校のワークショップに行っています。

そんな中ですが、大子町の各小学校が、ワークショップの様子を紹介してくれているので、こちらでご紹介します。
大子町の人たちは、レスポンスがとても早いでの、油断しているとあっという間に学校サイトにアップがしてあって、すごいなー。と思います。
僕らの記事以外も面白いものが多いので、よろしければ見てみてください。
大子町はとてもいいところですよ。

だいご小学校だより
第2回目のコミュニケーション能力育成事業
http://www.daigo.ed.jp/jozegzcwg-570/#_570

依上小学校だより 
充実の第2回「芸術表現体験」活動!!
http://www.daigo.ed.jp/jo939k6w6-446/#_446


袋田
小学校だより
聴く力が向上しました
http://www.daigo.ed.jp/jo6x58r4a-687/#_687

充実の第2回「芸術表現体験」活動!!
http://www.daigo.ed.jp/jofya2j7l-687/#_687

写真も充実しているので、かなり雰囲気はわかると思います。
大子町も概ね前半戦が終わって、後半戦に突入し始めました。
翌々週から、僕も大子町に舞い戻るので、どんな感じになっているかが楽しみです。

 

 

新年発は南から。奄美大島初日の夜に考えた。

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2014-01-12-121407

2014-01-12-121407MDの伊藤馨です。
PDの長谷と一緒に、今日から奄美大島に来ています。

 

3連休を一日ずらして、今日なら空いてるかも。っていうことで、わざわざ二日前にずらして移動をしたのに。
残念ながら、激混みの飛行機に乗って移動。
明日は成人式なんだよなー。
っていうのを飛行機のアナウンスで実感する。
しかも、今日は日曜なのね。なんということも。
年末年始も人並みには過ごしたはずなんだけど、考えることが多いし。
何より、年明けからバタバタと動かなくてはいけないので、その準備で終わった感じがします。

 

さて、本年の頭は奄美大島の宇検村から始まり、そのまま茨城県に移動。
詳しくは、長谷のblogに書いてあるので。
mloge
http://www.momouta.org/b/mloge/2014/01/12/diary_20140112uken/

 

年末年始にぼやぼや考えていたことがあります。
感覚的なこともあるのですが、こどもたちの言語力がこの一年で極端に落ちたように感じています。
具体的に説明するのが難しいのですが、一つの言葉に対しての語彙力が落ちているというのが正しいでしょうか。
たとえば、僕らがワークショップの中で使っている「わき水」をお題にした詩の創作があるのですが、「水」という言葉を聞いたときにこどもたちから出てくる身体的なイメージが希薄になってきているように感じます。
「水」は言葉としての「水」以外ではなく、そこから音としてや、意味合い的なものによる発展性がないものになってきいるということです。
これは、当然ですが会話の中での言葉使いにも影響してきています。
一つの事物に対しての見解に多面性がないため、会話が押し問答になってしまいます。
一人の中に構築されている言語世界に対して、他者の意見を取り入れることで、再構築されていく、そうして語彙力が増えていくというプロセスを踏んでいるはずなのですが、この再構築がうまくいかないので、よくよく創作されたものを観察してみると、構築されている言語世界が非常に平面的なものになっていました。
これは、誰か個人のことにフォーカスをあてているのではなく、各地のワークショップの様子を見て感じたことです。単年度ごとの違うこどもたちも、経年度を追いかけているこどもたちも同様です。

 

読書が足りないのじゃないか。
これも一つ考えたのですが、単純な読書量だけで言えば、統計で見ても増えているように思います。読んでいるものの質を加味しなければ。

 

そして、そのことが何を生み出しているのかをこの年末年始に考えていました。
結論づけるほどのことは何も思い浮かばなかったのですが、実家でぼんやりテレビを見ていて、これは一つあるな。と、思ったことがあります。
延々とバラエティ番組が垂れ流されるお正月番組。
そこには口語のみによる選び取られてない言葉たちの偶然性の強い産物で満たされていました。
再現性のある言葉ではなくて、再現性のない偶然性で作られたもの。
演劇は、むしろその対極にあって、再現性がなくてはいけないもの。
こどもたちに演劇の真似事をさせる。
ワークショップで扱っているのは演劇ではあるけど、こどもたちが演劇を真似事以上に取り組んではいけないと考えているため、こういう書き方になってしまいます。どうして、そう考えているかを説明するだけで、ものすごい時間がかかるので、世阿弥先生の風姿花伝を読んでいただければと思います。ちょっとだけ引用。
「第一  年来稽古条々 七 歳 一、この芸において、大方七歳をもて初めとす。このころの能の稽古、かならずその者しぜんといたすことに得たる風体あるべし。」

 

自分がこどもの自分はバラエティ番組の方が少なくて、大方はドラマが大勢を占めていました。その中で、「誰かが選び取った言葉」による「再現された会話」を見ることが多く、それを日常の口語のやり取りに加えて記憶していったのだと思います。
当然、本も読んでいました。
少し、話が戻りますが、読書量は減ってないけれど、質が下がってるのではないか。
この点については、自分たちが行っている範囲の中での特徴として、「伝記」が読まれていないということには、もう何年も前から気になっていることでした。
「伝記」には人生が描かれているので「圧倒的な挫折」があります。
そういったものに触れないことも大きなことなのかもしれない。などと考えてみたりもします。

 

一つ気が付いたのは、こどもたちがこの一年という短期的な期間で「演劇」の「真似事」をするための「お手本」がない。ということなのかもしれない。ということです。
私が感じるのは、こどもたちが日常の中で、触れることで成長してきた何かが欠けてきているという不安と危惧です。
ワークショップというある種の日常を集大成した時間を扱うものとして、少しの変化を大きくとらえているのかもしれません。

 

他者との融和の前に、自己との融和が出来てないことが大きな問題です。
人は鏡でしか、自分の姿を判別できないものです。
その鏡にあたる部分が徐々になくなっているということなのかもしれません。
1年間の数日しか関わらない僕たちにとって、出来ることはとても少ないと思います。
一方で、ほんの数日だから出来ることも多いはずです。

 

新年早々、おかたい感じですが、自分たちの社会的な役割の大きさを踏まえつつ。
まだまだ、社会の端っこの方に引っかかってるだけの僕たちをよろしくお願いいたします。