現状把握とその先の困難について。

政策的になんに予算をかければ実現できるのか具体的なところが理解できてないという意味では、政治家も官僚もあまり変わらないというところなのだろう。
現状でこの手のことで有識者という扱いを受けるのはその手の有名人だけなので、実情ではなく、彼らの利権に回ることは目に見えている。彼らはきっと現在持っている利権を手放したりはしないだろう。
それは、既に持っている既得権益で得られる収入が重要な要素となっているからだ。
それらを開放することで得るであろう莫大な利益が入る実感が持てない限り、その開放は行われないであろうとも思う。
ローマのように道を開放することで起きる利益には目が向かないということだ。
また、インフラの整備だけでなく、あえて整備しないインフラも必要だということもわからないのだから困る。
所詮、田中角栄の傍流でしかない、民主党政権ですから。よくよく考えてみると。困ったもんだ。
福祉に関しても追って知るべしだろう。
結局、年金もリセットして、福祉のあり方もリセットして、システムを組みなおすしかないけど、その勇気はないだろうし、次の形のシステム構築はとても大変だから、出来ないんじゃないかという感覚が強いのではなかろうか。
民間で財団を作って、福祉も、教育も、文化も保護する包括的な支援制度の構築を推進するほうがまともかもしれないね。
結局、財源の構築は今の政治家には出来ないだろうし、今後も出来るようにはならないと思う。それは事実だ。
システム構築をするために人にフォーカスのあたった実質的なパラダイムシフトは企業とか法人というレベルを守るという形ではなく、有志のある人たちによって、どう構築しいてくのか、また、それを構築することによる名誉や賞賛を得ることの社会的な意義の構築をするしかない。
そのためには今の方法論での国家運営は難しいとも実際には思う。
現状、崩れた土台の中の欠陥をつついて、今回はここを直しますというシステムの再生を作るよりもするべきことは、そんなことではなく。
現状の土台が腐っています。と宣言することであり。
既存のもので、有益であろうものを再検証する作業が急務なはずだ。
そのための人材も可能性も実は既にそろっている。それらをちゃんと集めるということをする人間がどのくらい居るのかということだ。
結局、経済も文化も福祉も地域も都市部も同じ問題を抱えているのだ。
金というものに対しての執着を持ちすぎることで、そこからの利益を中心に考えすぎると、公平な分配は行われないし、所詮箪笥の肥やしになるだけだ。
働くということで得られるものは、金銭ではなく、誇りだ。
日々の糧は、その後からついてくるものであり、またやりくりをする知恵もその後からついてくる。
状態把握を不透明にする限り、無限にこの無間地獄は続くことになる。
果たして、今の法人や政治家にそこまでの感覚も持つ者が居るかどうかは疑問だ。
この国をなんとかしたいというのであれば、そこで今はダメだ。でも、なんとかする。
という感覚をしっかり持って前を向く人たちがどう力を集める場所を作るのかということが急務だ。
それは、とても短絡的な意識や感覚での景気や為替の動きについてのことでなんとかなることではない。
今までやってきたことの中での再評価をする。そういうことだ。
民主党がするべきことは、自民党も自分たちが選んだ選択肢の中の一部であり、関係ないわけでなく、その政策に対して正しい評価をするべきだし、大衆のお先棒を担ぐのではなく、あなたたちが抱えていることはこういうことになっているという事実を確認し、一緒に戦ってくれないか。という問いかけが何より先に必要なのではないだろうか。
この国の未来をまず担うのは、今の30、40代だろう。
そして、50以上の人たちは今までの国を選択してきたことに対しての責任を取るべきだということを伝えるべきだ。
その上で人が生きていくために必要な社会の仕組みをみんなで考えないと、実際この泥舟は沈むだけであることを伝え、どうやってこの国の形を定めていくのかということに対して、もっと明確な形の答えをだすための方法論の入り口を作るしかないと思う。
ポッポちゃんもついったーで呟く暇があれば、明確に政治も経済も暮らしも立て直すために出来ることはなんなのかということの大きな目的に対して、なんらかの問いや答えを日々語っていくべきだろう。
それは、140文字でブレインが考えたことを垂れ流すことではない。
きちんとした演説や論旨のあるもっと明確な問いを出すことではないだろうか。

正直、企業なんざいくら潰したってかまわんと思う。
もともと今ある企業だって、そう長い時間かけて出来たもんでもない。
もう一回作り直せばいいと思う。それで自殺するやつが出るかもしれないけど、問題はそういう人たちではない。
これから100年先の日本という国の基盤を組み立てなおすために必要な企業であり、人材が必要だ。
そこにはアイディアが必要だし、行政と企業、民間団体が新たな形をもっと模索する必要がある。
ニートが増えている理由は、結局は過去の資産を食い潰している日本の現状をあらわしているし、実際必要であるケアマネージャーの人数が足りない理由も同じで、資産の食い潰しでしかない。
再評価と再構築が優先課題だ。壊すことや打開していくことではない。

個人的には「コミュニケーション教育」という点と「地方の経済」という点の二点が重要な課題になると思う。
地方が地方として、機能するためには結局コミュニティの再生ということが必要だと考える。
そこには、官民の協働作業の可能性を探り、その中で今あるものの見直しではなく、再評価と欠損部分の補填をどうしていくのかということをお互いで探るための機関を各自治体に持たせるべきだ。

産官民のネットワークということではない。それらを包括的にファシリテートし、各地方に核を作る。
この核を中心とした問題解決に向けての機関を作るというようなことだ。
企業が出来ること、行政ができること、民間ができることは、違う。
その中で、するべきことは、循環できる土台だ。
その土台となるべきものは、結局は文化だと思う。
文化という土台なくして、高齢者の介護も、若年層の教育も、国民としての誇りも保てない。
文化や芸術は、遠いものではなく、常に人々の間にあり、それらが我々が立つ土台となるべきものである。
身近でなくてはいけない。身近にしなくてはいけない。
歴史や美術に詳しくなれということではない。学校の授業とかということではない。
世代を超えるための仕組みであったり、今残っている重要な資料を構成に残すことだったり、それは文字化や映像化ではない。人の中に残すということをしていかなくてはいけない。また、年配の方々が持つ蓄積された感性や、まだ若い熱さを共有できる場の構築をしていくことが必要だ。
具体的にはネットみたいなアーカイブではなく、人に会い、そこで起きることを支援する仕組みを作らない限り意味がない。

もし、この国が再生していくとするならば、今しかない。
5年後や10年後では意味が無い。
一刻も早いアクションが必要だ。
僕は、今関わっている、「地域再生」と「コミュニティ構築」の方法論をこのまま突き進めていくことになるだろう。
そのためには手段は選べない。
憂国の士になっているわけではない。
それが、今自分にとって必要で、重要な課題であると切に感じているからだ。
情感や技術を得意とする日本人には、文化と芸術は限りなく切り離せないものであると痛感している。
これらをどう今ある形から未来に通用する形で残せるのか。
過去から今、未来へと繋ぐ架け橋は人でしかない。
そして、人は言語を持って思考し、人と関係性を構築していく。
その人が国を作り、人が国を滅ぼす。
その人を繋がない限り、国は滅んでいく。
どうやって繋がりの壊れている現状をどこが組みなおすポイントなのかを考えなくてはいけない。
その答えはとても身近なところにあるはずだ。
それは押し付けられる道徳ではなく、一般意識でもなく、集合知性や混沌の中にあるものだ。
僕はその答えを探しに行く。まだ誰も答えなんか持っていないし、今後も答えなんか出ないだろう。
探すプロセスにこそ、次に見えるものがあるはずだ。