まもなく、N.S.F.が始まりますが、その前にいくつかのこと。1 デモについて。

さて、すっかり個人blogというよりはN.S.F.ブログになってしまっているこのblogですが、ここはあくまでも伊藤馨が思ったこと興味があること、考えたことを書く場であります。

ここのところ、僕は安保関連法案のデモに参加したりなんだりとしています。

その間にいくつかTwitterで長いツイートをしてみたり、いろいろしていたりするわけで。

日常的な書き込みはなんとなく140文字に収まるように書いている感じです。

演劇という発表形態を使い、それを表現の主たるものとしているので、思考や思想について多く語ることはその創作の中で行い、それらの場において語ることについては、守られるべきものだと思うので、そこで話したことで当り障りのないものしか外には出しません。当然、作品の中には抽象的に反映されることが多いですが、それは創作の結果なのでいいと思っています。

さて、実に2か月以上放置していたblogをわざわざ間もなく、稽古開始でそっからblogを更新するのに更新するのか。っていうことですが。

Twitterでいくつか議論をしたりして、まぁTwitterでの議論っていうのは否定的です。文字数が少なすぎるとか、もともとそういうメディアではないとか。なんかいろいろです。

ただ、きちんとね。稽古が始まる前に。自分の意思は表明しておこうと思いまして。

・デモのこと。

デモは自分が気になること、それに賛同すること、いや、賛同しなくてもデモが目的とすることに自分の意思が合致することがあれば行った方がいいと思います。
これは自分の信条なので強要するつもりはないのです。ただ日本においては抵抗権を担保する法律は明文化されておらず、もしも現政権や法案に対しての反意を示すためには、デモや集会に参加するしかないないです。
現状、憲法12条(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html)で、

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

この不断の努力の一端がデモや集会だとも思います。
とはいえ、僕自身はシュプレヒコールがあまり好きではありません。
ああいうように言葉をシンプルにしてしまい、戦うということが、とてもよくないように感じてしまうからで、そこに抵抗感はないわけではないです。
たた、人が集まることという事自体が持つ圧力というのが大事なのだと思います。
先だってからの国会前のデモでも、警察官が寄ってきて、タクシーから降りられないようにするだとか、デモや集会を規制するだとか、そういうことが起きていますが、規制はされていて仕方がないことだと考えています。実際数万人で国会を取り囲んでいるということ、それらが一斉に国会に突撃するということが起きた場合にどうなるか。そういうことを含めての集会であり、デモだと思うわけです。いっぱい警察官は居ましたが暴徒になったときには止められるような人数ではない。そのことが一つ重要な点です。
大きな声を出すことやプラカードを掲げることが目的ではなくて、これだけの人が集まって反対だと言っていること。
今の状況がよくないと言っている人たちが集まることが一つの目的だと考えています。

デモの中に居たりすると、周りの人に気を遣えない人がいたりとか、ただただ体制対しての闘争だって言う人もいるわけです。
そういう人たちも自分たちの権利を行使していることには変わりはないとは思います。
いろいろな形の主張があるし、それらについてのことをきっちりと切り分けで主張します。っていうのではさすがに通らないと思います。
そういう人たちを排除するというのも実際にはどうなのだろうか。とも思います。
一つの主張に対しての先鋭化が進むということは、過去のこういったデモの流れでも起きていたことで、そういう先鋭化自体が事態を止めるための抑止力を弱めたということも多かったと思います。
まぁ、つまり、同じ旗振って反対を言おうと思うけど、お前の旗は角が円いからあっち行けよ。とかやってる場合じゃないよ。ってことなんだけど。

各種法案が整備されつつあり、それらのことからも今後こういう集会やデモについての規制が大きくなる可能性もなくはないです。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/15/security-law-wakariyasuku_n_7806570.html

きちんとデモを行うこと、そこに参加することをしていかないと、こういった抵抗権の存在をスルーされていくことになりかねないと考えています。

お近くのデモや集会の情報は下記で見られます。

http://www.magazine9.jp/demoinfo/

http://www57.atwiki.jp/demoinfo/pages/1.html

こういう動きもあるんだな。くらいには思ってもらえるとうれしいと思います。
Twitterじゃなくて、あえてブログに書いているというのは、相当危機的な状況にあると思っているからなのです。

http://www.repubblica.it/esteri/2015/07/17/news/giappone_difesa-119260925/?ref=fb

当然、投票はいかないといけないし、そのあと野放しにするんじゃなくて、きちんと状況をおっかけて見ることも大事、場合によってデモに行く必要もある。
だって、国家は国民のためにあるのだから、国家が暴走していると感じたら動かないと勝手にやられるわけです。
それだけは阻止しないといけないと思う。

ちなみに僕が想像していること。あ、決して陰謀論とかじゃないよ。妄想であることは否めないけど。

アメリカが財政の崖を超えられなかったので、既に崩壊しているアメリカによる平和をアメリカだけでは維持できないよね。(日本語がおかしいけど、そういうことなの)
そもそも国防予算も削らないと本当にまずいよね。でも、それじゃ軍需産業が文句言うじゃん。
あ、極東にある支部にお金を出させて、軍備を買わせればいいじゃないか。
http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012

「おい、平和維持に実効的に関われるようにしろよ。(軍備買えよ。うちの国から)」
「はい。」

てのが、今までの流れ。んで、こっから先。

日本の場合。
さて、軍備を。
あれ、金がない。
国債だー。
え?日銀が使いまくって使えない。
えー。どうすんだよ。金ないじゃないかよ。
借りれないの。え、借りれない?
んじゃ、取り立てに。
え、取り立てる手段がない?
えーもー。どーすんだよー。
(かなり、まともだった場合)

中国の場合。
あー。日本が交戦権を肯定するかー。
ってことは、うちが攻められるかもしれないな。尖閣諸島の件があるし。
ってことは、逆にあっちが攻めてきたってことにしちゃえば、行けるな。これ。
ついでに台湾も行けるよ。この流れ。来たな。
ちょうど、国内の反発も大きいし、いっちょやってしまうか。
ついでに石垣とか小笠原とかうるさいから取ってしまえばよくないか。
戦時賠償を持ち出せば行ける気がする。

韓国の場合。
中国と同じ。

北朝鮮の場合。
あら、アメリカに梯子外されたな。あの国。
これで一安心だな。

自分的には実質的な戦争になるというよりも、こうした外交戦略上のデメリットの方が大きくなる可能性が高い。
当然ながら、他の国は先の大戦のことを持ち出してはお金や領土を取ろうという戦略に来ると思われる。
実質的に日本の領土は管理がしにくい土地なので、ちょっとずつ削られるやり方で削られるだろう。
あと、日本の国土って日本以外には有用性があまりない、災害が多いし、インフラ維持のコストが大きい。
まぁ。取るだけ取って、統治権だけ奪われる可能性が高い。

それですら希望的な見方だけど。妄想ではある。

既に、この国はお金がない。
でも、カツアゲされまくってる粋がってる子供扱いなので、やっぱりカツアゲされる。
まぁ。そんな循環の中に既にいるわけだよ。

だからこそ、国民としてはそれらを少しでも食い止める努力をした方がいいんじゃないか。って思う。

だから、デモにも行くし、集会にも行く。