薄磯を見てきた

今日は、薄磯で瓦礫の撤去をしている知り合いから、水の支援希望があったので水を持っていった。瓦礫撤去をしているということだったので、水に加えてお茶、後、黒砂糖などの支援物資も持っていった。
行く途中、豊間の辺りで圧縮された車の残骸を見た。
到着して、水やお茶をボランティアの方々に配り、知り合いと少し話をした。

まだ、この時点では、薄磯の入り口のところで、建物が建っている状態で結構すごい瓦礫の山。という印象だった。

話を終えて、薄磯の入り口から中に入ったところに入って、目を疑うような光景に出会した。


何もない。


家があったりで、海や塩屋崎の灯台は本来見えるはずのないところに立っているはずなのに、海も灯台も見える。


広大な更地が目前に広がっていた。他の地域のボランティアの方々の姿も見えた。


G.W.ということもあってか、この地域に関係ない人たちが被災地を見に来てたりもした。

これは、地域の人たちやボランティアもあまりいい顔をしていない。それはそうだと思う。

更地になっているところをつぶさに歩いてみた。瓦礫の間を歩いていて、下をふと見たら、犬のあしあとがあった。人の足跡がなかったので、恐らく野犬だろうか。




津波から約2ヶ月が経とうとしている。当然、一回潮にさらされた車は錆びついて、真っ赤になっている。

車も車とは思えない形になっている。真ん中の赤い物は、本来車の前半分だ。

ほとんどの車がめちゃくちゃに殴られたように破壊されていた。

電柱が折れて、流されて固まっていた。

海岸から近い家の門のところにあったであろう木は、風に揺れていた。津波に巻き込まれて、かなりもみくちゃになっただろうに、彼らは雄々しく揺れている。自然は怖いけど、同時にこういう対抗する力も持っているのだな。少し勇気づけられた。

災害から2ヶ月が経過しているが、生活困窮者や社会的弱者は増える一方で、減ることはない。こういう前線に立つ人たちの間近の後方支援をどうしていくかを真剣に考えなくてはいけないということを実感した。

一方で、市街地の復興も進んできている。その間にいるいわきへの移住者も多くいる。いわき市が今後どういう全体像を作っていけるのか。全体像が未だ見えないでいる。支援の糸が断ち切れないようにするのかが、僕ら後方支援を行うものの勤めなのだろう。

相変わらずの浜辺の風景は薄磯だった。これが盛り上がって襲ってきたと考えると想像するだに怖い。

 

戻りがけ、側溝の格子の間から、散った桜の花びらが見えた。
瓦礫の向こうに咲いている山桜の淡いピンクがとても寂しくみえる。
瓦礫の撤去は、今日、明日、明後日と3日間は続くそうだ。
明日も少しでも力の足しになるものをもっていければと思う。
前線を見ると、こういうところで作業をすることの充実感を得たいという感覚が少し芽生える。
でも、今自分たちがしている後方支援も重要で、前線だけではダメ。
住み分けをして、少しでもいい形で復旧や復興をしていかなくてはいけないのだと痛いほど感じる。
明日も少しずつだけど、出来ることを積み重ねていこうと思う。