レベッカ・ホルン 静かな叛乱 鴉と鯨の対話&常設展 クロニクル

やっとこ久方ぶりに美術館に行けました。

そろそろもう充電しないことには何も出てきませんみたいな状態になっていて、今の忙しいのは来年の3月まで続くので、ここらで何かをもらってこないとまずい。ということで、東京都現代美術館Mo+へ。

レベッカ・ホルンを観てきました。

今日一番の大きな発見は、2Dと3Dなら自分は3Dのアートにしか主に興味がないということ。

2Dのアートというのは、僕にとってはアートではないとさえ言えるんだなと実感してきました。

それは、今日の展示の仕方を観て思ったことで。

まず先に、Part1として、立体のギミックものを中心としたインスタレーションとちょっとだけドローイングが展示されていました。点数は多くないのですが、どれも僕の中の何かを触発するものがあって素晴らしいなぁ。と思って見てきました。

それで、その後、Part2と区分けされている「映画」の展示を観たのですが、これはただ観るという体験がそこにあるだけで、それに何かを触発されたりはしませんでした。残念ながら。その代わりに今回の展示には出てなかった作品もその映画の中で見れたので、まあよしとするか程度のこと。

ここで、3Dと2Dの話に戻るのだけど、ドローイングは一応平面のものではあるけど、それそのものは立体で3Dのものとして、認識する。映画はあくまで2Dの枠であって、立体ではない。映像になって、ただその映像を観るという行為は、実物を観るという行為と比べ、自分の中の何かをreflectするものはないに等しい。というのを実感した。

それだけ、立体作品は素晴らしく、そこで得た自分の中の乱反射を、映像がだいなしにしてくれたおかげでそれがよくわかった。

個人的にとても気に入った作品があったので、メモ的に下記する。

恋の逃避、貝の眠り

鯨の腑の光

この二つがとても良かった。

ポスターにもなっている。アナーキーのためのコンサートは思っていたよりも小さくて少ししょんぼり。ピアノもミニコンだし。せめてセミコンだったらなぁ。

モーターとギミックが満載で大体何でも動く。それをどう捉えるかということをすごく広く捉えた作品たちだと感じた。アートはどう捉えても自由なのだけど、ことさら、その自由に拘っているようにも見える。余計な情報はいらない。ただ観る。そして、それがどういうタイトルなのか知りたいと思わせる作品たち。

ま、そんなあとの映像なので、がっかり感は満載だった。映像だけ見てれば、それはそれで面白いんだけど。実物観たあとだと流石に。

やるせなくなったので、常設展に足を運ぶ。

オープンスペースに井上雄彦の展示があった。バカボンドの絵本みたいな感じのもの。

わかりやすく、面白い。ものすごい要約してるけど。3Fの高さまでの絵がいつものクオリティで描けてるだけでもすごい。うん。でも、これじゃないな。

常設展に向かう。クロニクル1945,1951,1957という展示とアメリカの絵画 1950s・1960sというのをやっていた。

アメリカの絵画の方は、50年代の抽象主義と60年代のポップアートを展示していた。見慣れた作品たちが並んでいた。DAVID HOCKNEYの「ガラスの額に入れられた無意味な抽象画」というのが、面白かった。無意味な抽象画っていってるけど、抽象画なので意味性がどっかに宿っている矛盾とか。なかなか。

クロニクルは、1945と1951と1957の各年にかかわる日本の現代美術作品を展示していた。戦中も画家は絵を描いていたという事実と、戦争を活写しているものがかなりあって凄まじい。そこから1951~1957の現代美術の歴史の流れを追っていく形に変化する展示はなかなかよかった。1951から始まる流れは1957に新しい流れにのり変わっていく、それもビビッドに。そのスタートとエンドを連続して観るのは、非常に感慨深いだけでなく、意識の変化や感覚の変化、交流など、今と変わらないものが流れているのだと思った。

そして、最後の作品を見ようと最後の部屋に入ると最後にプレゼントが用意されていた。

他の観覧者にとってはプレゼントではないけど、僕にとっては最高のプレゼントだ。

レベッカ・ホルンを観に来たはずなのに。これを観るために来たのか?というくらい。

それは、「東方の光」今井俊満。僕の大伯父の初期作品だ。伯父も気に入っていたのか、その後の回顧展などでも再展示していた。今見ても絵のパワーがすごい。僕としては今日観たものの中で最も多く目にしている作品なので、目の端映っただけで、あ、あるんだ。と思った。身びいきを割り引いても十二分にすごい作品だと思った。

予想外の再開でした。しばらく大叔父と邂逅してから。現代美術館を後にした。

いい充電になりました。呼ばれてるものには手を出してみるものだ。