<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>blok &#187; alios</title>
	<atom:link href="http://www.terracehouse.org/blok/tag/alios/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.terracehouse.org/blok</link>
	<description>one piece of k`s block as bloK</description>
	<lastBuildDate>Sat, 04 Feb 2012 16:00:00 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.2.1</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.terracehouse.org/blok/tag/alios/feed/" />
		<item>
		<title>観劇記録　いわき小劇場「ブラックコメディ」</title>
		<link>http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/13/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e3%81%84%e3%82%8f%e3%81%8d%e5%b0%8f%e5%8a%87%e5%a0%b4%e3%80%8c%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b3%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%80%8d/</link>
		<comments>http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/13/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e3%81%84%e3%82%8f%e3%81%8d%e5%b0%8f%e5%8a%87%e5%a0%b4%e3%80%8c%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b3%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%80%8d/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 12 Sep 2009 17:57:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>
		<category><![CDATA[alios]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.terracehouse.org/blok/?p=344</guid>
		<description><![CDATA[演劇の形態としては、よくあるシチュエーションコメディでファルス（笑劇）というジャンルのお芝居でした 俳優たちの一部はとてもがんばっていた。 その周りが何一つないなかで、よくがんばったな。という印象です。 ただ、全体の印象 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>演劇の形態としては、よくあるシチュエーションコメディでファルス（笑劇）というジャンルのお芝居でした<br />
俳優たちの一部はとてもがんばっていた。<br />
その周りが何一つないなかで、よくがんばったな。という印象です。<br />
ただ、全体の印象はコメディなのに笑えるところが本来的な意味で言えば何もない。</p>
<p>もっとも良くないであろうという点は芯がないということ。<br />
この作品の核になる部分はなんなのかというコンセプトがまったくない。あったとしても伝わってないコンセプトは無いの同じである。<br />
これがないシチュエーションコメディは身内笑い以外の面白さというものは何も出てこない。</p>
<p>この話は主人公がしていた、している行為が結果として事態をより最悪なものにしていくというものだが、その芯にくるべき主人公が弱い。俳優の技量云々ではなく、きちんと演出されている印象がない。<br />
簡単に言えば俳優たちが出来ることを並べてみました。という言い方も出来るかもしれない。<br />
キャロル、ハロルド、クレアに関して言えば、彼らは主人公に対しての愛情や思いを丁寧に組み上げる作業をしているが、それに対して主人公がどうあるのかがない。<br />
電気工事士もその役割を飛び道具ではなく、きちんとその役割を果たしていたように思う。</p>
<p>もっとも重要な停電による暗い世界と明るい世界の逆転がこの作品の醍醐味であり、この一点を中心に物語の世界観を構築している作品であるが、それが何の効果もない形で行われていた。<br />
暗闇の演技については、コントにすら及ばない程度の動きであり、暗闇のリアリティもなく、暗闇であるはずのところでの異化した表現も見られない。見えてるのに見えてない世界を構築するという挑戦がない。<br />
演技についてもそうだし、音楽、明かり、舞台についても同じことが言える。</p>
<p>舞台上の俳優同士のコミュニケーションはアクションを発する人間ではなく、それに対しての受け手のアクションにより、関係性や状況が伝わる。この受け手になるのは主に主人公なのだがまったくアクションが見当はずれのアクションをしている。全般として、主人公のアクションは奇妙なものであり、アクションが連鎖していない。この手のシチュエーションコメディは特にアクションがきちんと連鎖することが重要な状況の積み上げに繋がるのだが、主人公がその連鎖を断ち切ってしまうために状況の積み上げが行われない。コメディでは一発芸的な面白いことを繰り返しても、それにはなんの意味もない。しかもリアクションがずれていればずれているほどに戯曲に描かれている状況の悪化が観客に見えてこない。</p>
<p>また、観客に状況の悪化を印象づけることで、それがフォアシャドーとなり、いつ、それが破綻し、より悪い状況に主人公が追い込まれていくのかということが観客をより作品に引き込む要素となる。<br />
しかし、これはまったくない。<br />
その全ては演出にコンセプトや意図というものがないということに発しているのではないだろうか。<br />
非常に場当たり的な作品であると思う。</p>
<p>その他のスタッフワークについてだが、<br />
セットのひどさは驚嘆に値する。<br />
まず、絵がいらないと思う。芸術家である主人公の部屋であるということの表現なのであろうが、絵が汚すぎるのが気になってしまい、現代美術的な素養もなく、ただ空間を汚しているだけであったと思う。<br />
壁のパネル、ドア、手すりなどのセットに関しても、作りの汚さが目立ちすぎてしまい、必要性が見えない。<br />
別になくてもいいのにある。これは今後技術的な研鑽を行って欲しいところである。<br />
全般的に全てがゆがんでいたり、そのゆがみに意味や意図は感じられない。<br />
ただあるものをたてて見ましたということにしか見えない。<br />
具象のセットであるにも関わらず、抽象的なセットの構造もそれを助長している。</p>
<p>小道具のソファや調度品に関しては、あまりにも説明に対して見合ったものが並んでいるとは思えない。<br />
これであれば、無くてもいいのではないかということすら感じた。<br />
これもあるものそろえられるもので選んでみましたという手抜きが見える。<br />
完全に出来ないのであれば、それを埋めるサインはなんなのか、そこに置かれるもので成立するもの何なのかということをもう一度考えるべきだ。</p>
<p>明かりは全体的に、暗闇と明るさの逆転という点が作品の肝になっているのに、まったくその意図を組んでいない。本火の使用までしているのであれば、その火だけで見せるということもあっていいかもしれかなかったと思う。実際それでは暗いのだが、作品の中で明かりがついている（暗い明かり）になる時間は総じて長くない。<br />
余計なことをせずに何もしない明かりというのもありではないだろうか。<br />
また、停電の明かり（明るい明かり）に関して言えば、余計な明かりが多い。見えるということを主眼に置いたときに当てるべき場所はずれている。<br />
壁に明かりが当たり、前の人の明かりが暗ければ、画面のフォーカスの基準は壁の明るさになる。<br />
そうした場合、俳優が見えない。また、戯曲のコンセプトは照明ありきであるにも関わらず、照明にコンセプトがない。ミニマムで見せていい作品に余計な明かりを入れることで焦点はぼやけてしまい、意味不明な明かりが出てくる。<br />
テクニカルなことだが、床へのあかり、壁への明かりが明るすぎるため、部屋が暗いということも分かりにくい。これはマッチなどがついた時に全体が明るくなるということで逆転の構造が崩れてしまっている。<br />
なんでもかんでも明るくする必要はない。それがなんでもかんでも明るくすることで処理してしまっている。<br />
テクニカルとしての研鑽も大事だが、重要なのは作品、戯曲が何をもとめているのかということに対しての考察がないのがとても大きな問題。</p>
<p>音響に関しては出音事態は特に何も問題はない。ただ、どこからの音なのか、その音が入る意味合いがあるのかということに対しての意識がもっとあってよかったのではないのだろうか？</p>
<p>衣装に関しても、ありものを着ているという印象は拭えない。キャラクターが押さえるべき特徴が何もない。<br />
本当に選びに選んだ一着であったのかという点がおきざりにされている。<br />
コンセプトなしで衣装を着ているのだなという印象がある。着たいものを着ているとも言えるかもしれない。</p>
<p>全体的に作品を作りあげていくという上で何が必要なのか、という研鑽が全体にない。<br />
団体として見せる作品をどういうクオリティであるべきなのかということをもっと真摯に向き合う時間が必要なのではないだろうか。<br />
また、責任も覚悟も見えない形での作品づくりは、若さによる自慰的な作品を見るよりもよくない。<br />
自慰的な作品はそれでも何か伝えるべきものを発散する身体が見える。<br />
場当たり的なものを並べても、何か伝えたいこと伝えるべきものの発散おきない。<br />
今回の「ブラックコメディ」はその見本のような作品であるということも言えると思う。<br />
ありものを並べて、覚えた台詞を言うのは演劇ではない。ただのやったことの発表会であり公演といったもので断じてない。<br />
今後、どういった研鑽や努力を積み重ねていくかが見物であるという見方もできる。<br />
変な話、これ以下というものは発表するという状況にすらないとすら思える。丁寧に基礎からやり直すことで今よりもいい作品作りは出来るはずだ。責任と覚悟を身に着ければという話という注意点つきではあるが、意識が前向きになれば、次回は今回よりもよい作品が出来上がるのではないだろうか。<br />
あくまで希望的観測であることは否めない。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/13/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e3%81%84%e3%82%8f%e3%81%8d%e5%b0%8f%e5%8a%87%e5%a0%b4%e3%80%8c%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b3%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%80%8d/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/13/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e3%81%84%e3%82%8f%e3%81%8d%e5%b0%8f%e5%8a%87%e5%a0%b4%e3%80%8c%e3%83%96%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b3%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%80%8d/" />
	</item>
		<item>
		<title>観劇記録　たいらじょう「星の王子様」</title>
		<link>http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/13/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e3%81%9f%e3%81%84%e3%82%89%e3%81%98%e3%82%87%e3%81%86%e3%80%8c%e6%98%9f%e3%81%ae%e7%8e%8b%e5%ad%90%e6%a7%98%e3%80%8d/</link>
		<comments>http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/13/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e3%81%9f%e3%81%84%e3%82%89%e3%81%98%e3%82%87%e3%81%86%e3%80%8c%e6%98%9f%e3%81%ae%e7%8e%8b%e5%ad%90%e6%a7%98%e3%80%8d/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 12 Sep 2009 16:15:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>
		<category><![CDATA[alios]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.terracehouse.org/blok/?p=341</guid>
		<description><![CDATA[全部一人でやる星の王子様のたいらじょうさんバージョン。 厳密に言えば、星の王子様ではない。 星の王子様は読んだ人それぞれの王子様が居て、それがいい作品だと思う。 それを「平常」という人のフィルターを通して見せる手法は、正 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>全部一人でやる星の王子様のたいらじょうさんバージョン。<br />
厳密に言えば、星の王子様ではない。<br />
星の王子様は読んだ人それぞれの王子様が居て、それがいい作品だと思う。<br />
それを「平常」という人のフィルターを通して見せる手法は、正解だと思う。<br />
扱う人形の可愛さ、一つ一つに対しての繊細さは目を見張るものがあり、とても素晴らしいものを見れた。<br />
作品に対しての愛情が溢れ、一つ一つの言葉に対しての芯がしっかりとある構成も素晴らしい。ある意味では隙のない全編を見せるということの偉業は賞賛に値する。<br />
何よりも素敵なのは、王子様の人形の印象の残し方、あえて使わないという作り方は印象をつけて、人間になり、人形になりを繰り返し行うことで全編を通した統一感の作り方も素敵だった。<br />
王子様や飛行士を通して展開する社会へのアンチテーゼの提示の仕方はとてもすごい手法であった。<br />
この作り巧さには舌を巻く。</p>
<p>ただ、厳密に言えば、人形劇ですらないとも言える作品だ。<br />
時に人形を使い、時に俳優が現れ、それを全て一人でこなして見せる世界はとても素敵で素敵がいっぱいで少し重い。</p>
<p>個人としては、総じてとても楽しいし、面白かった。</p>
<p>ただ、正直長かったという印象も強い。また、平さんを前面に押し出しすぎではないかという印象も強い。<br />
もう少しコンパクトに表現に対しての精査があってもいいのではないか。<br />
作品をする上で演者のノリというものや、感覚というのはとても大事なことではあるが、演出家が居て、この作品をきっちり見せるために必要なものはなんなのか、そぎ落とせるものはないのかということが考えられていれば、その先に見えてくる世界はもっともっと深いものになるような気がした。<br />
「平常」という演者を体感するという意味ではおなかいっぱいではあるけど、「星の王子様」を体感するには何かが足りないという印象が残る。<br />
この感覚の出所は作り上げた作品に対しての見る側が持つべき視点の欠如にあるのではないだろうか。<br />
この作品はきっともっともっと上のレベルの作品になって然るべき素養を持っている。<br />
にも関わらず、あまりにも演者「たいらじょう」にフィーチャーしすぎているために、せっかくの作品がディナーショーの様相を呈している。<br />
体感すべきは作品であり、演者を体感させることではないはずだ。その作品を伝えるためには演者が出すぎてしまっている部分を削ったり、増補したりということがあっていいと思う。<br />
単純に上演後の感想の一番に来るのは「長い」「疲れた」という印象を持ってしまう。<br />
演者の素敵が部分を見てしまった分、見せすぎない隠れた部分というものがあっても物事は伝わるし、そこを制御することで、より作品は良くなっていく。この作品を見る限り、カンパニーとしての力が低いというのが見えてしまう。<br />
これは演者の責任ではない、一人芝居であっても、それを作品として劇場に上げるためには多くの人が関わっている。しかし、このカンパニーはそこで作品を仕上げるという意味で人々が関われていない。作品をよくするためではなく、演者が気持ちよく作品を行うための環境を作ることに必死なのではないかという印象が拭えない。<br />
実際そうであるかは知らないが、作品を見た感想としてはそういう印象しか持てない。<br />
たとえば、これが９０分まで作品をそぎ落とすことが出来たなら最後のシーンにはもっと大きなカタルシスがあってもいい。長すぎるがゆえに予定調和としての終わり方になっているのではないか。というように感じた。</p>
<p>作品に関わることというのは、表に出る演者の素養も大きな要素として扱うべきではあるが、裏に居る人間がどれだけ、その作品に磨きをかけられるのかという部分も含めて、関わるということであると僕は信じている。<br />
この作品には、パッケージとしての完成度の低さが目立つ。<br />
演者の能力が高いだけにパッケージとしての弱さが作品のマジョリティを下げてしまい、好きな人が好きな作品というステイタスに落ち込んでいるのではないか。<br />
舞台表現は常に想像による表現である。<br />
作品を見るうえで観客に想像するという形での参加する権利を与えることが必須であり、その想像力を原動力として、作品は大きく飛躍する。<br />
そこまで押し上げることが出来れば、この作品は素敵がいっぱいで夢がありいい作品になる。<br />
演者と作品が両方とも足を引っ張りあうことになってしまう。表現力、能力、感性がすごい表現者なのに、そのすごさが伝わらないのは演者の責任というよりは制作、スタッフを含めた形でのカンパニーの責任ではないだろうか。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/13/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e3%81%9f%e3%81%84%e3%82%89%e3%81%98%e3%82%87%e3%81%86%e3%80%8c%e6%98%9f%e3%81%ae%e7%8e%8b%e5%ad%90%e6%a7%98%e3%80%8d/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/13/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e3%81%9f%e3%81%84%e3%82%89%e3%81%98%e3%82%87%e3%81%86%e3%80%8c%e6%98%9f%e3%81%ae%e7%8e%8b%e5%ad%90%e6%a7%98%e3%80%8d/" />
	</item>
		<item>
		<title>観劇記録　黒ひげキャラバンの「地球祀」</title>
		<link>http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/07/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e9%bb%92%e3%81%b2%e3%81%92%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%a9%e3%83%90%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%9c%b0%e7%90%83%e7%a5%80%e3%80%8d/</link>
		<comments>http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/07/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e9%bb%92%e3%81%b2%e3%81%92%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%a9%e3%83%90%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%9c%b0%e7%90%83%e7%a5%80%e3%80%8d/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 07 Sep 2009 08:38:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[review]]></category>
		<category><![CDATA[alios]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.terracehouse.org/blok/?p=327</guid>
		<description><![CDATA[観劇記録　黒ひげキャラバンの「地球祀」 昨日はアリオスの小劇場で黒ひげキャラバンの「地球祀」を観てきた。 総じて、自己愛に溢れた作品だと思う。 登場人物たちは全て自分自身への愛情を叫び、それは当然ながら他者には伝わらない [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">観劇記録　黒ひげキャラバンの「地球祀」</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">昨日はアリオスの小劇場で黒ひげキャラバンの「地球祀」を観てきた。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">総じて、自己愛に溢れた作品だと思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">登場人物たちは全て自分自身への愛情を叫び、それは当然ながら他者には伝わらない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">愛情は叫んだ時点で自己愛にしかなりえないというパラドックスを悪い意味で反映していると思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">今回の作品は、草野心平作品へのオマージュと銘打っていた。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">作品内容や演技以前の問題として、草野心平の作品の言葉を使うことに対しての尊敬が微塵も感じられなかった。自分にとって草野心平の作品群は重要な位置を占める作品であるということもあり、余計にそう感じるのかと思ったが、どのように考え直しても、作品に対する尊敬は見出せなかった。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">過去の表現者の行為からインスパイアして作品を作るときに、そこにはなんらか尊敬であったり、悪意であったり、というものがない状態で作品化してはいけない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">ある種の悪意があれば、そこにはパロディとして成立するということもありうる。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">それには、高度技術や知識の集積が必要なのだ。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">なぜ、そうだったのかということはあとで触れたいと思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">俳優たちは荒が目立つもののそれなりにがんばっていた。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">声を大きくして、言いたいことを言うという演技方法が目立ったため、言葉として聞こえてこなかったり、細かい促音や濁音、半濁音の判別がつきにくくなってしまい勿体ない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">俳優たちについて言えば、言葉を身体で表現する、もしくは、身体で何かを表現するというときに、伝えるべきことを身体で一回、言葉でもう一度言う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">たとえば、身体で「面白い」ということを表現し、その後に言葉で「面白い」という。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">順番が逆も然りで、同じことを強調して伝えるのではなく、ただ2回伝えられるということがしばしば起きていた。台詞を身体化していくプロセスをより意識して、言葉を扱った方がいい。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">逆に、身体性がなく、ただ言葉だけで物事を伝ようとすることも多かった。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">表現者として、矢面に立つ俳優たちはプロやアマの差があるとは言え、舞台の上で公演を打つ限り、そこで出来る最大限のことをする権利と義務がある。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">だからこそ、次はよりよい方法を手に入れられるよう試行錯誤して欲しいところだ。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">ここからは俳優ではなく、演技中のメタ化についてだけれども、これは俳優たちにとってリスクが大きい方法だと僕は感じている。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">なぜなら、演技をしている身体から、演技をしていない身体への落差、それに空気の変化がメタ演技をする利点であり、緊張しやすい場面で観客をほぐしたり、異化することによって作品に集中することが出来る。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">これには、それなりのスキルが必要で、「演技をしている」身体から「演技をしていないという演技をしている」身体への落差が必要になってくる。それには高度な演技技術が必要だからだ。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">もしこの落差が少ない状態でメタ化を行うと俳優たちが芝居に対しての向き合い方を間違えてしまい、悪ふざけをしているようにしか見えない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">今回の出演者には残念ながら、その落差を作れるほどの俳優は居なかった。そのため、前半部で度々出てきたメタ化は悪ふざけにしか見えなかった。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">この点については、いや、全ての点において、俳優たちを責めるつもりはない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">演出家は、俳優たちが最高よい状態で望めるように作品を調整し、本番の幕を上げる義務がある。彼らの俳優としての出来如何ではなく、俳優たちが最大限演技を行えるよう、そして彼らの有り様をよりよく見せる義務があると僕は考えるからだ。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">普通に見て、この作品は駄作である。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">わざわざ、その作品について時間を割き、考えて、文字化までしようとすることには意味がある。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">この作品での草野さんの言葉の使い方に大きく問題があるという根拠は、先に書きたいものやりたいことありきで、その作品をなんとなくつまみ食いのように扱っているということだ。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">このドラマから草野さんの作品たちを抜いても、作品は成立してしまう。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">それは、この作品と草野さんの言葉が融合していない証拠でもある。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">こういう誤用（本当は誤用という書き方はおかしいがあえてこう書く）は、元の作品たちに礼を失しているだけでなく、無知であることの誇っているかでさえあると思う。表現において、特に引用するということについては無知は罪である。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">情報として、作品を読んだか読まないかということではない、上演された作品からは適当に自分たちの都合のいい言葉だけを抜き出して、戯曲の中に散りばめただけでしかない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">知識がない人間が見たら作品に対しての誤解を与えることになるような使い方は、作為的で無ければならないと思う。今回は作為すら感じられなかった。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">戯曲の構造としての稚拙さは問題ではない、自分が書きたいことのために物事を捻じ曲げるなら、それを突き通すだけの表現力や作品に対しての愛情を持ってするべきだ。それがない。そのことが人の言葉を使うのに必須だと思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">アマチュアであることは言い訳にならない。表現者として、プロとアマに差はない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">オマージュであるのならば、どこを芯としてその作品たちに向き合ったと言えるのか、その言葉の改変をすることが本当に必要なのかという、検証が行われていない作品はオマージュという言葉を使ってはいけない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">戯曲としてよくない点としては、登場人物たちにとっての目的や障害、そして、それを乗り越える姿が描かれていないからということが一点。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">焦点として描くべき事柄というのが全て外で起きているという点。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">クライマックスといえる部分に持ってきている事柄が全体の中の山として小さすぎるということ。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">全体としての目的が散漫で、何がしたいのかどうなりたいのかが見えない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">たとえば、一番大きなこととして、地球祀が終わったことにより、何が達成できたのかが描かれていない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">ここにカタルシスが起きることはあっても、心平を蛙たちが受け入れることによって、カタルシスは起きない。ドラマとは何か、戯曲とは何か、そこからもう一度考え直したほうがいいと思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">テクニカルな点については下記に列挙しようと思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">セットについて、真ん中の山台についてはがんばっていたと思う。これがあるとなしでは大きく印象が変わるだろう。ただ、惜しむらくは人のサイズからみた岩や竹であり、蛙であるということを意識させるには、もう一工夫が必要だったように思う。バックがホリゾントではなく、大黒幕か、劇場壁でよかったように感じる。ホリゾント幕を使ってしまうことで、暗転が効かなくなり絵が壊れていた。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">でも、力作であり、作品の助けになっていた。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">衣装について、がんばっていたとは思うが、衣装が意味合いを持つ程度までのことではなかった。特に、途中の心平が甚平に着替えるのは、無くてもいいように思う。衣装が表現する、キャラクター像というものの意識が低いように思う。ただ、酷評しておいてなんだけど、僕としては土の匂いがするという意味では悪い衣装ではないと思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">選曲、音響について、選曲は作っている段階での演技の穴埋めのように音を入れている印象が強い。ボリュームも大きすぎたり、小さすぎたりが大きく、演技の邪魔をしているときさえあったと思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">客入れから開演の曲の長さが異常に長いのも気になった。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">気になる理由としては、開演のための曲であろう曲が流れ始める、観客たちは観劇姿勢へと体を変える。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">が、流しきりで曲を選んでいるため、長い時間その状態をキープしなくてはならない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">人は何かが起こるぞという合図から待てる時間というのは、そう長くないため、観劇姿勢は解除されおしゃべりへと移行する。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">突然、ボリュームが上がりびっくりするが、また長く聞かされることにより飽きる。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">というようなことが起きていた。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">これは一例であり、曲を流すために必要要件やなぜその曲なのかという理由が見出せない音楽というのは、邪魔にしかならない。この点を考えたほうがいいだろう。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">使っているスピーカーでメインで鳴っているのが、サイドのスピーカーであったのも問題だと思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">恐らく、サイドとプロセミアムのスピーカーをメインで使っていたのだと思うが、そのため音像が客席と舞台の間に音のフィルターのように作用して、薄っぺらい音環境を作っていた。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">作品にとって、音楽が流れるということには意味合いが強いものなので、状況に応じて奥からの音が入る必要があったのではないかと思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">照明について、全体として、見たいところが見えない。もしくは無駄に明るいという印象でした。ホリゾントを使って時間を表そうとするがゆえに余計に稚拙さが目立つ結果になったように思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">バックからの斜光を使ったり、SSを使ったりと工夫は見られるが「やってみた」という印象が拭えない。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">るりるの唄の明かりが分かりやすく良くないといえる点で、斜めからのバックとるりるを中心としたバック、見せたいのはわかるが、げりげまでも明るくしてしまい、結果何が見せたいのかというところがぼやけてしまっていたように思う。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">照明は今何が見せたいのかという芯を持って明かりを作ること。それは作品全体と見合っているのかということが重要な点になる。ここがずれているとただ明るくして、色を入れて見ましたという明かりになってしまう。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">また、暗転が無駄に多い。しかも短いシーンの間に何度かの暗転は観客の気持ちを覚ますのに十分な時間を与えてしまう。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">ここも考え直したほうがいいと思う。</div>
<p>昨日はアリオスの小劇場で黒ひげキャラバンの「地球祀」を観てきた。</p>
<p>総じて、自己愛に溢れた作品だと思う。</p>
<p>登場人物たちは全て自分自身への愛情を叫び、それは当然ながら他者には伝わらない。</p>
<p>愛情は叫んだ時点で自己愛にしかなりえないというパラドックスを悪い意味で反映していると思う。</p>
<p>今回の作品は、草野心平作品へのオマージュと銘打っていた。</p>
<p>作品内容や演技以前の問題として、草野心平の作品の言葉を使うことに対しての尊敬が微塵も感じられなかった。自分にとって草野心平の作品群は重要な位置を占める作品であるということもあり、余計にそう感じるのかと思ったが、どのように考え直しても、作品に対する尊敬は見出せなかった。</p>
<p>過去の表現者の行為からインスパイアして作品を作るときに、そこにはなんらか尊敬であったり、悪意であったり、というものがない状態で作品化してはいけない。</p>
<p>ある種の悪意があれば、そこにはパロディとして成立するということもありうる。</p>
<p>それには、高度技術や知識の集積が必要なのだ。</p>
<p>なぜ、そうだったのかということはあとで触れたいと思う。</p>
<p>俳優たちは荒が目立つもののそれなりにがんばっていた。</p>
<p>声を大きくして、言いたいことを言うという演技方法が目立ったため、言葉として聞こえてこなかったり、細かい促音や濁音、半濁音の判別がつきにくくなってしまい勿体ない。</p>
<p>俳優たちについて言えば、言葉を身体で表現する、もしくは、身体で何かを表現するというときに、伝えるべきことを身体で一回、言葉でもう一度言う。</p>
<p>たとえば、身体で「面白い」ということを表現し、その後に言葉で「面白い」という。</p>
<p>順番が逆も然りで、同じことを強調して伝えるのではなく、ただ2回伝えられるということがしばしば起きていた。台詞を身体化していくプロセスをより意識して、言葉を扱った方がいい。</p>
<p>逆に、身体性がなく、ただ言葉だけで物事を伝ようとすることも多かった。</p>
<p>表現者として、矢面に立つ俳優たちはプロやアマの差があるとは言え、舞台の上で公演を打つ限り、そこで出来る最大限のことをする権利と義務がある。</p>
<p>だからこそ、次はよりよい方法を手に入れられるよう試行錯誤して欲しいところだ。</p>
<p>ここからは俳優ではなく、演技中のメタ化についてだけれども、これは俳優たちにとってリスクが大きい方法だと僕は感じている。</p>
<p>なぜなら、演技をしている身体から、演技をしていない身体への落差、それに空気の変化がメタ演技をする利点であり、緊張しやすい場面で観客をほぐしたり、異化することによって作品に集中することが出来る。</p>
<p>これには、それなりのスキルが必要で、「演技をしている」身体から「演技をしていないという演技をしている」身体への落差が必要になってくる。それには高度な演技技術が必要だからだ。</p>
<p>もしこの落差が少ない状態でメタ化を行うと俳優たちが芝居に対しての向き合い方を間違えてしまい、悪ふざけをしているようにしか見えない。</p>
<p>今回の出演者には残念ながら、その落差を作れるほどの俳優は居なかった。そのため、前半部で度々出てきたメタ化は悪ふざけにしか見えなかった。</p>
<p>この点については、いや、全ての点において、俳優たちを責めるつもりはない。</p>
<p>演出家は、俳優たちが最高よい状態で望めるように作品を調整し、本番の幕を上げる義務がある。彼らの俳優としての出来如何ではなく、俳優たちが最大限演技を行えるよう、そして彼らの有り様をよりよく見せる義務があると僕は考えるからだ。</p>
<p>普通に見て、この作品は駄作である。</p>
<p>わざわざ、その作品について時間を割き、考えて、文字化までしようとすることには意味がある。</p>
<p>この作品での草野さんの言葉の使い方に大きく問題があるという根拠は、先に書きたいものやりたいことありきで、その作品をなんとなくつまみ食いのように扱っているということだ。</p>
<p>このドラマから草野さんの作品たちを抜いても、作品は成立してしまう。</p>
<p>それは、この作品と草野さんの言葉が融合していない証拠でもある。</p>
<p>こういう誤用（本当は誤用という書き方はおかしいがあえてこう書く）は、元の作品たちに礼を失しているだけでなく、無知であることの誇っているかでさえあると思う。表現において、特に引用するということについては無知は罪である。</p>
<p>情報として、作品を読んだか読まないかということではない、上演された作品からは適当に自分たちの都合のいい言葉だけを抜き出して、戯曲の中に散りばめただけでしかない。</p>
<p>知識がない人間が見たら作品に対しての誤解を与えることになるような使い方は、作為的で無ければならないと思う。今回は作為すら感じられなかった。</p>
<p>戯曲の構造としての稚拙さは問題ではない、自分が書きたいことのために物事を捻じ曲げるなら、それを突き通すだけの表現力や作品に対しての愛情を持ってするべきだ。それがない。そのことが人の言葉を使うのに必須だと思う。</p>
<p>アマチュアであることは言い訳にならない。表現者として、プロとアマに差はない。</p>
<p>オマージュであるのならば、どこを芯としてその作品たちに向き合ったと言えるのか、その言葉の改変をすることが本当に必要なのかという、検証が行われていない作品はオマージュという言葉を使ってはいけない。</p>
<p>戯曲としてよくない点としては、登場人物たちにとっての目的や障害、そして、それを乗り越える姿が描かれていないからということが一点。</p>
<p>焦点として描くべき事柄というのが全て外で起きているという点。</p>
<p>クライマックスといえる部分に持ってきている事柄が全体の中の山として小さすぎるということ。</p>
<p>全体としての目的が散漫で、何がしたいのかどうなりたいのかが見えない。</p>
<p>たとえば、一番大きなこととして、地球祀が終わったことにより、何が達成できたのかが描かれていない。</p>
<p>ここにカタルシスが起きることはあっても、心平を蛙たちが受け入れることによって、カタルシスは起きない。ドラマとは何か、戯曲とは何か、そこからもう一度考え直したほうがいいと思う。</p>
<p>テクニカルな点については下記に列挙しようと思う。</p>
<p>セットについて、真ん中の山台についてはがんばっていたと思う。これがあるとなしでは大きく印象が変わるだろう。ただ、惜しむらくは人のサイズからみた岩や竹であり、蛙であるということを意識させるには、もう一工夫が必要だったように思う。バックがホリゾントではなく、大黒幕か、劇場壁でよかったように感じる。ホリゾント幕を使ってしまうことで、暗転が効かなくなり絵が壊れていた。</p>
<p>でも、力作であり、作品の助けになっていた。</p>
<p>衣装について、がんばっていたとは思うが、衣装が意味合いを持つ程度までのことではなかった。特に、途中の心平が甚平に着替えるのは、無くてもいいように思う。衣装が表現する、キャラクター像というものの意識が低いように思う。ただ、酷評しておいてなんだけど、僕としては土の匂いがするという意味では悪い衣装ではないと思う。</p>
<p>選曲、音響について、選曲は作っている段階での演技の穴埋めのように音を入れている印象が強い。ボリュームも大きすぎたり、小さすぎたりが大きく、演技の邪魔をしているときさえあったと思う。</p>
<p>客入れから開演の曲の長さが異常に長いのも気になった。</p>
<p>気になる理由としては、開演のための曲であろう曲が流れ始める、観客たちは観劇姿勢へと体を変える。</p>
<p>が、流しきりで曲を選んでいるため、長い時間その状態をキープしなくてはならない。</p>
<p>人は何かが起こるぞという合図から待てる時間というのは、そう長くないため、観劇姿勢は解除されおしゃべりへと移行する。</p>
<p>突然、ボリュームが上がりびっくりするが、また長く聞かされることにより飽きる。</p>
<p>というようなことが起きていた。</p>
<p>これは一例であり、曲を流すために必要要件やなぜその曲なのかという理由が見出せない音楽というのは、邪魔にしかならない。この点を考えたほうがいいだろう。</p>
<p>使っているスピーカーでメインで鳴っているのが、サイドのスピーカーであったのも問題だと思う。</p>
<p>恐らく、サイドとプロセミアムのスピーカーをメインで使っていたのだと思うが、そのため音像が客席と舞台の間に音のフィルターのように作用して、薄っぺらい音環境を作っていた。</p>
<p>作品にとって、音楽が流れるということには意味合いが強いものなので、状況に応じて奥からの音が入る必要があったのではないかと思う。</p>
<p>照明について、全体として、見たいところが見えない。もしくは無駄に明るいという印象でした。ホリゾントを使って時間を表そうとするがゆえに余計に稚拙さが目立つ結果になったように思う。</p>
<p>バックからの斜光を使ったり、SSを使ったりと工夫は見られるが「やってみた」という印象が拭えない。</p>
<p>るりるの唄の明かりが分かりやすく良くないといえる点で、斜めからのバックとるりるを中心としたバック、見せたいのはわかるが、げりげまでも明るくしてしまい、結果何が見せたいのかというところがぼやけてしまっていたように思う。</p>
<p>照明は今何が見せたいのかという芯を持って明かりを作ること。それは作品全体と見合っているのかということが重要な点になる。ここがずれているとただ明るくして、色を入れて見ましたという明かりになってしまう。</p>
<p>また、暗転が無駄に多い。しかも短いシーンの間に何度かの暗転は観客の気持ちを覚ますのに十分な時間を与えてしまう。</p>
<p>ここも考え直したほうがいいと思う。</p>
<p>スタッフワークについて、こまごま書いたけれども、テクニカルなことに関してはどこでもいいから自分たちの作品について考えてくれる技術を持った人を見つけて、きちんと相談したほうがよいと思う。</p>
<p>特に大きな劇場や設備の整ったところを使うにはそれなりの技術が必要になってくる。</p>
<p>アイディアを相談するだけでもいい。とにかく作品を作るためになりふりをかまわないというのが必要なのではないかと思う。</p>
<p>思いこそが人を動かし、よりよい作品を作っていくのだから。</p>
<p>厳しい言葉ばかり並べて申し訳ない。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/07/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e9%bb%92%e3%81%b2%e3%81%92%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%a9%e3%83%90%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%9c%b0%e7%90%83%e7%a5%80%e3%80%8d/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.terracehouse.org/blok/2009/09/07/%e8%a6%b3%e5%8a%87%e8%a8%98%e9%8c%b2%e3%80%80%e9%bb%92%e3%81%b2%e3%81%92%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%a9%e3%83%90%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%9c%b0%e7%90%83%e7%a5%80%e3%80%8d/" />
	</item>
		<item>
		<title>なんだか</title>
		<link>http://www.terracehouse.org/blok/2009/06/21/%e4%bd%8f%e5%87%a6%e3%81%a8%e6%b1%ba%e3%82%81%e3%81%9f%e5%a0%b4%e6%89%80%e3%81%a7%e3%80%81/</link>
		<comments>http://www.terracehouse.org/blok/2009/06/21/%e4%bd%8f%e5%87%a6%e3%81%a8%e6%b1%ba%e3%82%81%e3%81%9f%e5%a0%b4%e6%89%80%e3%81%a7%e3%80%81/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 20 Jun 2009 17:08:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[dairy]]></category>
		<category><![CDATA[monologue]]></category>
		<category><![CDATA[alios]]></category>
		<category><![CDATA[dramareading]]></category>
		<category><![CDATA[drink]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.terracehouse.org/blok/?p=12</guid>
		<description><![CDATA[いろいろな人に会う。 居方、見方が変われば、人の意見は大きく変わる。 今、そんな間をなんとかする仕事を立ち上げようとしている。 一つ、そこに居る人たちで何かを作る仕掛けを作る。 もう一つは、何かをやるために必要なデバイス [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>いろいろな人に会う。</p>
<p>居方、見方が変われば、人の意見は大きく変わる。<br />
今、そんな間をなんとかする仕事を立ち上げようとしている。<br />
一つ、そこに居る人たちで何かを作る仕掛けを作る。<br />
もう一つは、何かをやるために必要なデバイスとしての役割を果たしていくこと。</p>
<p>せっかくある入れ物に何かをいれ、そこから何かを繋いでいくという仕事はとても有意義なことだと思う。</p>
<p>思えば、父も同じ類のことをして、祖父も同じ類のことをして生きていた。<br />
僕も同じようなことを積み重ねていく。<br />
人と人の間にあるものこそ、人の真実だとするならば、人間という言葉はなんと的を射た言葉なのだろう。<br />
人は人と接するときに相手でも自分でもなく、そこの間に生まれるものを見て何かを構築していく生き物なのだろうか。<br />
演劇という人に今の人間に一番近い芸術が社会に果たせる役割とはなんなのだろう。</p>
<p>プロジェクトとして、形になるものもあるだろう。<br />
ならないものもあるだろう。<br />
terraceの今までで積み上げてきたものが、何かの形で次の段階に進めるのであれば、今のタイミングで起こすことしかありえないと思う。<br />
それは、途方も無く大きく果てしないものを、小さなことからはじめ、ちょっとしたことを繋ぎ、構築していく気の遠くなるような作業なのかもしれない。</p>
<p>南でDrinkを立ち上げ、北でサンデーピクニックが出来た。<br />
ここで主導となっているものは、まるで正反対のことだ。<br />
だが、この事実を検証し。<br />
南の時にこだわっていた、場所の持つ力を使えるのか。<br />
結果、人の情熱に頼り継続していくのか。<br />
どちらもとても重要な要素だ。<br />
今まで蓄積してきたデータと土壌にあった何かを加えることで起きる変化をどう扱うのか。<br />
これが今後の課題になりうる。<br />
ただのおもちゃでも、発信源でもなく。生活する人の間に生まれるものをどう組み上げて、土壌を開拓していくのかということだ。</p>
<p>なんてことを考えてると眠れなくなるので、ゆるりとすすめて行こう。</p>
<p>ただ区切りの時期は来ている。少し逸り焦る心をおさめて。先を見据えよう。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.terracehouse.org/blok/2009/06/21/%e4%bd%8f%e5%87%a6%e3%81%a8%e6%b1%ba%e3%82%81%e3%81%9f%e5%a0%b4%e6%89%80%e3%81%a7%e3%80%81/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.terracehouse.org/blok/2009/06/21/%e4%bd%8f%e5%87%a6%e3%81%a8%e6%b1%ba%e3%82%81%e3%81%9f%e5%a0%b4%e6%89%80%e3%81%a7%e3%80%81/" />
	</item>
	</channel>
</rss>

