Archive for 5月, 2011

「ワークショップは、自分のアートのためにやっている。」

5月 25th, 2011
勿論、演劇ワークショップを通して社会に貢献することを、考え続ける日々でした。でも、根本的な信念は、自分のアートに根差していなければならないということを、常に忘れないでいようと思っています。

そうは言ったものの、アーティストとしての自分に何が返って来ているのか、それが何となく分かって来たのは、量をこなしてからでした。
昨年度一年間で、数多くの教育現場を回り、その中でようやく、量が質に変わりつつあるという実感を得るに至っています。

クリエイティビティの高い生徒や先生に恵まれ、期待以上の成果を見られた現場では、ワークショップをやっていて本当に良かったと思いました。彼等のいきいきとした表情が、創作へと向かう僕にとっての栄養でした。
一方で、時には悔しい思いをする、困難な現場もありました。そんな授業の後は、たった一時間半のワークショップを終えただけとは思えないくらい重くなった体を引きずるようにして、学校を後にしたものです。

しかし、自分のアートに対する収穫が、恵まれた現場からだけあった訳ではありません。
振り返ってみて、困難な現場からも大きな収穫があったことに、俳優として演劇作品を創るという自分のアートに帰りながら、気付かされました。

上手く行かないコミュニケーションを、どうやって活性化するか。子供達の間を縦横無尽に走り回って、障害を取り除き、回路を繋ぎ合わせた経験は、僕の稽古場での振る舞い方を変えました。
自分の課題に取り組むばかりでなく、より風通し良く、創造的なやり取りを促進出来るような俳優でありたいと思います。

自分が面白いと思っていることが生徒や先生に伝わらないという、歯痒さを味わうこともありました。そんな時は「分かりやすい」表現を、求められてしまうことがあります。しかし、そうすることで、想像力を奪いたくはありません。
僕は「伝わりやすい」表現で、それに応えることにしました。「分かりやすさ」に陥らず「伝わりやすさ」を磨くことは、そのまま演技の洗練にも通じる考え方だと思います。

様々な規模の学校を訪ねました。全校40人なら全体の雰囲気が手に取るように分かりますが、一学年200人を相手にした時は大変でした。何十人にも向けて声を張り上げた次の瞬間には、腰を屈め、一人一人に目を合わせ、囁き声で、対話を試みます。
ワークショップの対象が毎日変わるように、公演の観客も毎回変わります。ワークショップの参加者一人一人が違うように、公演の観客も一人一人違います。そして、共演者がいます。何を、誰に、どう語り掛けるかという意識を敏感に持って、舞台に立ち続けようと思います。

今年度はどんなフィードバックが生まれるでしょうか。
人との、アートとの、新たな出会いを楽しみに、その間を繋ぐ素敵な循環が起こせるよう、頑張って行きたいと思います。

あ、そろそろ、「あやや 演劇」でググったら、僕が検索結果上位に表示されたり、しないもんかなあ。
今年度の裏目標にしようっと。

綾田將一(あやだしょういち) ワークショップネーム:あやや

 

振り返り。terraceの2010年や震災のこと。

5月 23rd, 2011

北村です。だいぶご無沙汰していますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。ぼくはそこそこ元気です。毎日料理をして、戯曲を書いて、粛々と引っ越しの準備を進めています。

さて今日は。

すこーし遅いけれど、ホッピーに続いて2010年度の活動の振り返りなど認めます。ぼくなりにね。
ではさっそく。

2010年度はとにかく、たくさんワークショップをやりました。細かいことは省きますが、北へ南へあちこちの学校へ飛びました。下は小学校低学年から上は高校3年生まで全国の子どもたち(たまに大人も)に遊んでもらって、行く先々で土地の人々に触れ、食べ物を口にして、ビールを飲みました。

そりゃあもう楽しかった。どの街も、人々も、出来事も印象深かった。得難い経験がたくさんできた一年でした。

一方で、なんだかずっともやもやしていたこともあります。今自分がしていることはなんなのか。演劇のワークショップは、それを通じて彼らが体験することにはどんな意義があるのか。その場に立ち会う自分にはどんなバックがあるのか。根本的なところでよく分からなかったのです。よい酒の肴にはなったんだけど、それはまた別の話だし。

とはいえ分からないなりにも続けてみるものでして。慌ただしい行脚を続けていくうち、なんとなく自分の中で気づいたことや、考えたい、試したいと思うことが身体の中に積もっていくのを感じていました。

事業が終了したのは2月です。次年度が始まるまでにはまだじゅうぶん時間があるし、温泉にでも浸かりながらゆっくり考えようかなあ。そう考えていた矢先のこと。3月11日がやってきました。

世の中がすとんと変わってしまい、まずは無力さが先に立ちました。ぼくには演劇の即効性のなさが歯がゆかった。もちろん、できることがないわけじゃない。人と空間があれば劇は創れるし、それを観てもらうことも、そうして得たお金を被災地に送ることもできる。場合によっては、被災者に観てもらうことだってできるでしょう。それが本当に必要かどうかはさておき。

まず生きること。ぼくたちがやってきた「芸術表現を通じたコミュニケーション」よりも、今すぐ温かいスープと毛布を必要とする人々があれからずっと、そこにいることは動かしようのない事実でした。

けっきょくこの一年でしてきたことって、なんだったのだろう。悪いことではなかったはずだけど。じゃあ、どんないいことがあったのだろう。たとえばいわきにも何回も通ったけれど、あの子たちは今この状況をどんなふうにして過ごしているのだろう。学校が用意したイベントのひとつである以上に、何か役に立つことを残せただろうか。詮無い考え事が続きました。

あの時あんなに笑っていた子たちが渋い顔をするのは嫌だな。たまにでいいから、あの時しゃべったことや、身体を動かしたこと、一緒に考えたこと、何かひとつでも思い出してくれないかな。だってあれ、楽しかったじゃない。ほら、大変な時ほど、誰かと話したり笑いあったりすることは大切でしょう。だんだん、そう考えるようになっていました。

だってぼくたちがやってきたワークショップは、そういうアンテナの感度を上げるための作業でもあったはずだもの。直接役には立たなくたって、困難に立ち向かうための知恵を仕込むくらいはできたはず。それはきっと、ぼくたちがワークショップを行うことの意義のひとつであり得るだろう。

もちろん、それは確かなことではありませんし、実証するのもとても難しい。個人の思い込みのレベルとさえ言えます。ただし、よくよく考えたらぼくは演劇から、そうしたことをずっと学び実践してきたのだ。これは信じるに値する。

その考えははからずも、これまでずっと引っかかっていたことの答えのひとつであるようにも思えました。すべてじゃないにしてもね。

 

2011年度も、terraceはあちことでワークショップを展開する予定です。去年までとは違うこともたくさんあるでしょう。これまで培ってきたことを大切にしつつ、その時がくればいつでもポォンと手放せるような自由な姿勢で臨みたいです。ポォンとね。

それでは今日はこのへんで。また気が向いたら何か書きます。皆様、ごきげんよう。

ある学校の体育館

5月 10th, 2011

ある学校の体育館。

ここでワークショップをするのは今日が初めてである。
あと5分で子供たちがやってくる。講師たちは歌を歌ったり、ストレッチをしたりしながら、まだ見ぬ子供たちとの出会いに備えている。
体育館に響いている歌は一昔前のもので、きっとこれからやってくる子供たちは知らないか、もし知っていても美空ひばりと同じ「懐メロ」のカテゴリーなのだろう。

まもなく入り口の方から賑やかな声が聞こえてくる。
先生に促されて挨拶する声は一様に明るい。この時間を楽しみにはしてくれているのだと知り、ホッとする。

チャイムが鳴ると、講師がそれぞれ自己紹介する。
「ホッピーです」と言った途端にドッと笑いが起こる。よし。

諸注意の後、ランダムウォーク。一人になって、歩く。走らないように、隙間を作らないように。
友達にちょっかいを出している子を発見。注意しようとしたら他の講師から先に注意が飛ぶ。

続いて2人一組になってフローズンピクチャー。メイン講師からデモに指名され、扇風機をやる。こういう事は考え込まずにやるのがポイントだが、いつもやり終わった後に「あそこをこうすれば良かった」と後悔する。でもこの後悔が次の表現活動の原動力になるんだよなと大それたことを考えていると、生徒のフローズンピクチャーが始まる。急いで見て回る。
このグループはまだ形になっていないけど、もう少し待っていると面白くなりそう。でもここで立ち止まっていると全員にコメントが出来ない。後ろ髪引かれる思いで他のグループに足を進める。結構面白い作品が多い。

4人組、8人組になると、だんだんグループやクラスの差が見えてくる。男女に分かれてしまうグループ、喧嘩が勃発するグループ、誰かが始めるまで誰も動こうとしないグループetc……。おそらく普段の学校生活で繰り返されてきた光景なのだろう。これからの5回のワークショップの中でどう変わっていけるか。少なくとも変わるきっかけを作れたらと思う。

休憩後はフローズンピクチャーの最後に組んだ8人グループで「遊びたい公園」を身体創作する。滑り台、ブランコ、シーソーなど次々と出来上がっていく。傍らを見ると呆然と立っている子が3人いる。

「この公園にどんなものがあったら楽しい?」
「遊びたくない。とりあえず寝たい」
「じゃあ寝るとこあった方がいいね。どんなとこで寝たい?」

僕の頭には真っ先にダンボールハウスが浮かび、提案したい気持ちでいっぱいだったが、さすがにシュールすぎるし、押し付けは良くないと思いとどまる。

「ベンチかな」
「いいじゃん。ベンチ作ろう」

男子2人が土台となり、女子が遠慮がちな手すりになる。
遊びたい人から休みたい人まで集う素敵な公園が出来た。

公園が出来ると鑑賞タイム。他のグループが創った公園を見たり、他のグループに自分達の公園を見てもらったり。他のグループの公園に、自分達にないアイデアを発見して「すげえ!」「こんなのあり!?」という声が上がる。それを聞いて得意になって公園はさらにカッコ良くなる。見る人と見られる人が一体となった瞬間だ。
「見る人と見られる人が一体となって演劇は出来ている」とは言ったものだが、実はプロの舞台では滅多にない光景だ。
演劇をやっていて良かったとつくづく思う。

鑑賞タイムの後はグループに戻って振り返り。どんなところが楽しかったか、どんなことが難しかったか。一緒に苦労した仲間だからこそ、自分の言葉で語り合える。

最後はクラスごとに並んで、チャイムと共に終わりの挨拶。
興奮冷めやらぬ様子で体育館を後にする。「ホッピーじゃあねー」と言われて、手を振る。次来るのは夏休み後だ。待ち遠しい。

以上昨年度を振り返りながら書いてみました。
今年度は劇作家という職域を生かしたワークショップへの関わり方を考えていきたいと思っています。
ワークショップも自分のアート活動の一部なのだという自負を持って臨みたいです。

 相馬杜宇(あいばもりたか) ワークショップネーム:ホッピー